077 赤信号  (にら)

テスト・・・オールグリーン

壬生屋はシートにもたれ、ほっと息をもらした。
目がかすむ。

多目的結晶で時間を確かめると、午前3時を回っていた。

夕方からずっと整備にこもっていたので、ここのところ連日の戦闘でただでさえ疲れきっていた体が、今は鉛のようだ。

ヘッドセットをはずし、士魂号から這い出すようにして出る。

ハンガーにはもう誰も残っていないようだった。

ここで座り込んでしまったら二度と動けないような気がして、とりあえず壬生屋はプレハブ校舎へ向かうことにした。

家に帰るのは諦める。時間も時間だし、これから帰ってもたいして眠れないだろう。それに、もう体の方が言うことをきかない。

腹も空いていたが、壬生屋は睡眠を優先することにした。

最初は布団がないところで寝るなど、とんでもないと抵抗があったものだが、今ではもう慣れっこになっていた。

朦朧とした頭で寝場所を検索する。

教室が真っ先に浮かび、壬生屋はだめだと頭をふる。

嫌な思い出があった。

以前に瀬戸口と鉢合わせたことがあるのだ。

5121小隊のオペレーター。軽薄な色男。
人を見透かすような紫色の瞳。

教室で寝ている瀬戸口に気付かず着替えをしていて、それを見られた。
あの時はお互いずいぶん気まずい思いをしたものだ。

「あの人は苦手です」

知らず、壬生屋は声に出して呟いていた。

けれど、見てしまう。
だから余計に苦手だった。

もう一度頭を振る。

教室はだめだ。倉庫は・・・さすがにちょっと怖い。
やはり、整備員詰め所だろうか。
ハンガーから一番近いというのもいい。

もしかしたら整備の誰かが残っているかもしれないが、女子だったらよし、男子だったらその時また考えればいい。

***

整備員詰め所の灯りはついていなかった。

そっと戸を開け、中を覗く。
誰もいないようだ。

確かここには予備の毛布があったはず・・・。

何故か暗いところは足音を忍ばせてしまう。可笑しくなった。

まだ私たちヒトにも野生は残っているのかしら。

部屋の半ばまで入ったところで、壬生屋は隅の塊に気が付いた。
寄ってみる。目を凝らす。

もう少しで声を出してしまうところだった。

瀬戸口がいた。毛布を被って床に転がっている。

何でこんなところにあなたがいるのですかーー?!

壬生屋は内心で叫ぶ。

瀬戸口もまた、壬生屋と思ったことは一緒だったということか。

ええ、どうせ私は嫌われていますものね。

自分も瀬戸口を避けようとしていたことは棚に上げている。

顔を付き合わせれば喧嘩をしてしまう。それも主に壬生屋が一方的に売る形だ。
少しでも衝突する可能性を減らそうとしたのだろうか。

ふと鉢合わせした後の瀬戸口の科白を思い出す。

次から別の場所で寝るよ、と言っていた。

一人きりの家には帰りたくないから、ぎりぎりまで誰かといれる学校で寝るのだと。

壬生屋だけには冷たく向けられる瞳も、いつも皮肉げに上げられる口の端も、今は閉じられていた。

端正な顔だと思うけれど、好きではない。
それなのに、いつのまにか目がいってしまうのは何故なのだろう。

そのまま去ろうと思ったが、瀬戸口が被っていた毛布が腰の辺りまでずり下がっていた。

案外寝相が悪いのね、と微笑ましくなって、壬生屋は毛布をかけ直そうと手を伸ばした。そっと持ち上げる。

その時、月明かりがうっすらと瀬戸口の頬を照らした。

何かが光る。

近づいてみる。

涙だった。

今、流れたのだろう。雫が高い鼻梁をつたい落ちる。

音が、聴こえるようだった。

何故か心臓が引き絞られる感覚。

その場に縫いとめられたようになってしまう。

瀬戸口が寝返りをうった。

はっと我に返り、毛布を戻そうとする。

瞬間、腕を掴まれた。

やや遅れて瀬戸口が飛び起きる。

目と目が合った。

綺麗なすみれ色の瞳が、涙に滲んでいた。

***

こんな時、どうしていいかわからない。

やはり私は未熟者です。

そればかりが頭の中をまわる。

掴んでいた壬生屋の腕を離して、先に口を開いたのは瀬戸口だった。

「人の寝顔を伺うなんて、悪趣味だな」

一度は目を逸らしたものの、親指で自らの目元を拭うと、瀬戸口は何事もなかったかのようにいつもの軽薄そうな笑みを壬生屋に向けた。

「・・・それとも、俺の顔に見惚れてたか?」

「誰があなたの顔など!私はもっと――」

もっと、何だと言うのだろう。

つい条件反射のようなもので反論してしまったが、自分の好みなどあまり深く考えたことなどなかった壬生屋は一瞬言葉に詰まってしまう。

それでも、真っ赤になりながら何とか頭に浮かんだ言葉を繋げた。

「もっと、どっしりとして腰が据わった感じの殿方が理想なんです。あなたはまったく逆ではありませんか!」

片膝を立てて座った格好の瀬戸口はそこに頬杖をついて、そんな壬生屋をにやにやと見やった。

「腰ねぇ」と意味深に呟く。

何だか知らないが、とても嫌な笑い方だ。

顔に不潔です!と書いて身構える壬生屋に、瀬戸口は尚も言う。

「理想が現れたところで、あっちが願い下げだと言うんじゃあないか?」

「何ですって!」

「ほら、その顔。始終そんな顔をするから・・・」

瀬戸口は頬杖をはずし、その手を壬生屋の頬に伸ばした。

両膝を付く格好で向かい合っていた壬生屋に、容易にその手は届く。

「もったいない。笑ってみればいい。かわいいんだから」

言って、瀬戸口は本当に優しく笑った。

頬に触れたかと思った手はそのまま下りて、肩口にかかっていた壬生屋の髪を後ろに流す。

「え・・・?」

今、この人は何と言ったのかしら・・・?

混乱して頭の処理が追いつかない壬生屋は、その場で固まった。

やがて、一度は下りた血液が、またゆっくりと上ってくる。

止めようもなく顔が火照っていくのが恥ずかしくて、壬生屋は両頬に手を当てた。

「な、な、何を言っているのですか・・・」

彷徨う視線。
壬生屋は喘ぐ様に言葉を搾り出す。
語尾が震えるのが本当に恥ずかしいと思った。

しかし、床にあった視線を瀬戸口に戻した壬生屋は、瀬戸口のつい先ほどまでとは違う様子に、一転、眉をひそめる。

瀬戸口は懸命な壬生屋を他所に、片膝に顔を伏せ、くっくっと押し殺した笑いで肩を震わせていた。

「私をからかっているのですね!」

壬生屋はそう思わず怒鳴りながら、一方では不思議と冷静になっていく自分を感じた。

気付いてしまったからだ。

この人は自分の涙を、内面を、追求されないために、いつもなら自分には向けない笑顔や言葉を使ってまで話を逸らしたのだと。

***

諦めにも似た気持ちは一瞬のこと。

それでも、近づきたいと思ってしまったから。

この人の涙を、とても綺麗だと思ってしまったから。

壬生屋は手を伸ばし、瀬戸口のそれに触れる。

指先をそっと握ると、びくっと瀬戸口の体が震えた。

「・・・私が笑えば、あなたも笑って下さいますか?」

勇気を振り絞りできるだけ静かに声に出すと、壬生屋はその紫の瞳に真っ直ぐに視線を合わせる。

しかし瀬戸口は壬生屋のいつもとは違う物言いに、一瞬戸惑いの色を浮かべたものの、すぐにまた目を逸らした。

そこには深い蔭りがある。

誤魔化さないで。言葉にはせずに強く思う。

覚悟を決めて、壬生屋は口を開いた。

「私、あなたの笑顔に、以前から違和感を感じておりました。
今、それが分かりました。”虚ろ”、です。何もかもどうでもいいというような空虚感・・・・」

「はぁ?…何を――」

突然何を言い出すのか、笑い飛ばそうと顔を上げた瀬戸口に壬生屋は言い募る。

ここで引いたら、こんな機会は二度と来ないような気がした。

「それでもあなたが笑おうとするのは、何かを待ち続けているからですか?」

「手に届かない何かを待ち続けて、それを掴むために苦しんでいるように見えます…」

「あなたの痛みを分かりたいと思うのは、きっと私の傲慢なんでしょう……」

「それでも私は・・・・」

「私に、何かお手伝いできることはないでしょうか?」

壬生屋は自分の思ったこと、伝えられることのすべてを不器用に、けれど懸命に言葉にした。

瀬戸口は何も言わず俯いて、ただ黙ってそれを聞いていた。

信号で例えるならば、今、黄色かもしれないと、壬生屋は思う。

駆け寄るのに、いつも赤信号で歯噛みした。

でも。
でも、今なら渡れるかしら?

――なんて浅ましい思い違いをしたのだろう。

「!」

壬生屋は痛みに小さな悲鳴を上げた。

瀬戸口の指先に触れていた手が、逆に凄い力で握りこまれていた。

瀬戸口が顔を上げた。

そこに表情はない。

ゆっくりとした動作で、瀬戸口が空いていた片方の手を伸ばす。

二の腕を掴まれた。

状況が分からずに動けずにいる壬生屋を、瀬戸口は引き寄せる。

息が近く触れ合うまで顔が近づいて、そこに見たものに壬生屋は息を呑んだ。

紫だと思っていた瞳が、中央の瞳孔が縦に細く窄まり、そこから血が滲む様に紅く染まっていく。

周りの空気がぴりぴりと痛いのは気のせいではないだろう。

そこに、まぎれもない殺気があった。

「・・・・お前さんが癒してくれるって?」

瀬戸口が、低く囁いた。

口許に冷たい笑みが浮かぶ。

「思い上がるなよ」

言葉とは裏腹に、甘く優しい声。

腕を掴んでいた瀬戸口の手が喉元に上がった。

このまま首を絞められるのかと、壬生屋は宣告を待つように目を閉じる。

何故か怖くはなかった。諦めとも違う。

触れてはいけないものに触れてしまった、自分への報いなのだと思った。

親指が顎の線をなぞり、そのまま仰向かせられる。

噛み付かれるように唇を塞がれたのは同時だった。

豊かな髪が、床に広がる。

瞼の奥に閃くのは、赤。

――ああ、また私は立ち竦むしかないのね。

確かにそこに見えているのに、行き着けないもどかしさ。

痺れたように感覚をなくしていく体に、成す術もなく意識を飛ばす。

ただ、組み合わせられた手だけが、温もりを伝えていた。