「あら、瀬戸口君。今日も重役出勤?ずいぶんと余裕ねぇ」
その日、瀬戸口が登校したのは午後もとうに回った頃だった。掛けられた言葉の通り、珍しいことではない。
それでも毎度絡むのが副委員長の原だった。待ち構えている。
最初の頃こそ「触らぬ神に祟りなし」とばかりに遠巻きにしていた整備班の面々だったが、今現在では恒例の″じゃれあい″として微笑ましくも、壁に耳あり障子に目あり状態で落ち着いている。
つまり、はたから見た状況自体はさほど前と変わっていない。相変わらず、事情の知らないもの、――それは主に女子高の生徒だが――からすると、一見して愛憎が渦を巻いている感じだ。
原の朗らかな声はかえって恐ろしい。そして外でもよく響く。
ののみが気付いて駆け寄ってきた。
両手を伸ばして、てててっと走るののみの姿に今日も俺の可愛い子は最強だなと、まなじりを下げた瀬戸口の袖を、原が「親馬鹿」とつねる。
芝居がかっているのも彼女の味で、瀬戸口は嫌いではない。相性も悪くないんだろう。
属性が似ている。距離をわきまえている所も。
だから、お互い様の二人は割り切ることもできるが、この先もきっとそうはならない。
なにより、試すには火遊びが過ぎるだろう。
原に、じゃあまたと手を振ると、瀬戸口はののみの方を向き直り両腕を広げた。
「たかちゃん、ちこくはめーなのよ」
後ろ手に組み、頬を膨らませて言うののみの視線に合わせるために、瀬戸口は腰を落とす。
「ののみ。ちゃんとお昼は残さず食べたか?」
「うん!きょうはね。コロッケとたまごやきだったの」
他所用ではない笑みと声を向けると、ののみのしかめ面もすぐに笑顔に変わった。頭を撫でられるとえへへとうれしそうに背伸びをする。
「そうかそうか。じゃあこれはおやつに」
瀬戸口はののみの手をとると、その手の平に持っていたものをのせた。
「いちごみるく?」
薄いピンクに色づけされたテトラパックの文字を目で追って、ののみはそのまま声に出した。
「そう、牛乳たくさん飲もうな」
「うん。ありがとうなの。たかちゃん!」
指揮車まで連れて行って座らせると、素直にストローに口をつける。
一口飲むたびに、おいしいねぇとうれしそうに頬を染めるののみに、隣に腰を下ろした瀬戸口は目を細める。
「ののみ」
名前を呼ぶと、その小さな声を聞き漏らさずにののみは瀬戸口を見た。
「・・・どうしてかな。悲しいの?たかちゃん」
ののみも小さく呟く。
想いを汲み取る力の不自然さを、瀬戸口は知っている。
それでも出会った頃と変わらないこの小さな手は、今も自分をここに繋ぎ止めてくれるひとつの光だ。
何でもないと笑うと、瀬戸口はののみの飲みきった紙パックを引き取った。
それは綺麗に三角に畳まれていて、そういえば壬生屋が以前教室で、ののみにテトラパックの折り方を教えていたなと思い出す。
瀬戸口は視線をハンガーに送った。
あれから壬生屋の姿を見ていない。
もちろん避けられてることは分かっている。
あそこまでのことをしたのだ。
その上に追い打ちまでかけるような真似をして――
壬生屋は決して自分のことを許さないだろう。
それでいいと、思う自分もいた。
近づくことさえなければ、少なくともこれ以上は傷つけることはない。