090 強さと弱さ  (もぞ)

運命のあの日。
壬生屋は全感覚投入をしたまま被弾した。

ののみの悲鳴が指揮車内に響く。
しかし激しい動揺が瀬戸口の心を支配したのはほんのわずかな時間に過ぎなかった。
善行の無慈悲とも思える当たり前の指示が彼を現実世界へと連れ戻す。
「東原さん、一番機の被害状況を報告して下さい」
すばやくモニターに視線を走らせると、わずかながらも生体反応が見て取れた。

大丈夫、生きている。

安堵と共に訪れたのは、いつも通りの瀬戸口の口調。
不安を微塵も感じさせない雰囲気が、ののみの悲鳴の効力を打ち消した。
「一番機、腰回りの装備は全滅ってところだが、どうやら壬生屋の運はいいらしい。気を失ってはいるが、倒れた場所は飛行型幻獣の死角に入ってる。はは、ののみも姫さんも心配することはないみたいだな」
壬生屋が厳しい状況であることに違いはなかったが、瀬戸口の言葉は麻薬のようにパイロットたちのテンションとモチベーションを引き上げた。
さすがは得体の知れない男だと変なところで感心した善行は、弱い光を放つモニターを睨み付けながら、それでも冷静な口調で指示を出す。
「敵戦力の損耗率がまもなく20パーセントを突破する。
まもなく友軍は掃討戦に入る模様。掃討戦突入予定時刻は?」
「360秒後です」
「一番機に一番近い戦車は?」
「5121小隊三番機が距離1500に展開中です」
「わかりました。聞こえてますね、三番機、掃討戦に乗じて一番機を回収せよ」
「「了解」」
「二番機、A-3ブロックの目標物を破壊しながらB-2ブロックに移動しなさい」
「えっ、は、はいっ!了解!」

善行の指示を聞きながら、瀬戸口は自分の選択が誤りではないことを実感していた。

善行という男は現実的な目をしながらおとぎ話に憧れを持つところがあった。
誰一人失うことなく戦況を乗り切れると、いや乗り切らなくてはならないと、彼の全てを賭けて思っているフシがある。
無慈悲で冷酷だと言われる判断も、結果を見れば全てが快勝。
「死神」と呼ばれた遠くない過去が嘘のように、戦死者の発生しない戦いを展開する。

この男の正義についていけば、ののみ以外の如何なる理由でも俺は戦う必要がない。

傍観者として人間に絶望しながら、それでもあの人との約束を果たすことが出来るのだ。
か弱きものを、女子供を守り続けるという約束は、瀬戸口にとって命以上に大切なものである。
善行に従って味方を誘導しさえすれば、彼の世界は安泰だった。

運命のあの日。
間もなく勝利の声を耳にするであろう時間になっても、
一人モニターから視線を外すことが出来ない善行の姿がそこにあった。
独特の高揚感が漂う中、背中越しに感じる緊張した空気が瀬戸口の胸に不安の種を呼び込んだ。
「委員長・・・?」
瀬戸口が怪訝そうに問いかけた瞬間に、三番機の速水から通信が入る。
「一番機のハッチを開けることが出来ません。破壊の許可をお願いします」
「瀬戸口君、一番機の損耗率を算出してください」
「はい、高タンパク質関連のパイプが足回りにおいてのみ全て断絶、被弾を受けたため腰回りの装甲が剥がされています。
自機での歩行は不可能ですが、損耗率という観点でいけば25パーセント。ただ、パイロットの心拍数と呼吸数は正常値から大きく外れています。早急に・・・」
「そうですか。一番機は『大破していない』わけですね。三番機、すみませんが、壬生屋さんごと一番機を移動させて下さい。彼女の怪我の具合は気になりますが・・・ハッチを無理にこじ開けることは許可出来ませんよ、芝村さん。一番機の廃棄は今回行いませんからね」
怪我人よりも一番機を優先させる発言に、舞が抗議の声を上げる。
速水があわてて回線を切ったが、そもそも善行は聞く耳を持たない様子であった。
「委員長・・・一番機を廃棄しないためにハッチを破壊させないのか?」
舞がぶつけたかったであろう質問を口にする。
「壬生屋は全感覚を投入して被弾したんだ、無事でいるはずがないだろう!?」
ここは戦場ですよ、と階級が下の瀬戸口の発言を少しだけたしなめ、善行は本心を打ち明けた。
「三番機は人間が扱える重機を搭載していません。壬生屋さんに負担をかけず、それでいて早く救出するとなると、整備班に任せるしか方法がないんですよ。・・・トレーラーまでの移動の振動に耐えられると信じての判断です」

人は万能ではない。
血を吐くような努力をしてもなお、どうしようもないことが存在する。
善行のギリギリの判断は彼の立場を考えればベストを尽くしたと評価されるであろう。
たとえば今回の戦闘で壬生屋が亡くなったとしても、彼のこれまでの判断が多くの人たちを救ってきて、これからも多くの人たちを救うに違いないのだから。
善行に付き従えば、あの人との約束を果たし続けることが出来ることに疑いはない。
たとえば今回の戦闘で壬生屋が亡くなったとしても
・・・大多数の人の命が守れるのであれば・・・

そこまで考えたところで瀬戸口は呆然としてモニターを見つめた。
人間に絶望していた自分が「ただの人間」にすぎない善行を盲信していた滑稽さはどうだろう。
善行の全てを賭けた判断を批難した自分は何と矮小で醜い存在なのだろうか。
人間に絶望していると嘯いて安全な場所から動きたくないだけのことではないのか。
壬生屋が被弾したときに感じた動揺は何故起きたのか。
命よりも大切な約束を大義名分にして
少女の命が失われる痛みを忘れることが許されるとでもいうのか。

わずかながらの生体反応がトレーラーの方向へ一定のスピードで移動している。
指揮車はトレーラーからわずか200の距離にある。
「壬生屋・・・!」
思わず席を立とうとした瀬戸口を善行は冷めた声で制止した。
「まだ戦闘は終わっていませんよ。誘導できないオペレーターに何の価値があるんでしょうか。幻獣の非実体化までの時間を算出してください」
「・・・非実体化まで60秒を予測」
「では60秒だけ、あなたはオペレーターとしての職務を果たしなさい」
瀬戸口はハッとして善行の方を見た。
相変わらず表情は読めない。
それでも善行の懐の深さを感じ取り瀬戸口は頭を下げて応えた。

運命のあの日。
指揮車を飛び出す瀬戸口の姿があった。