決意の日が何日前のことだったのか、正確には思い出せない。
記憶力が良くなければ生きてこられなかった瀬戸口が抱える空白の日々。
そう昔のことではないが、昨日のことではないことくらいしか覚えてはいない。
ただ運命のあの日に起こった出来事だけを鮮明に覚えている。
運命のあの日、一番機は壬生屋を己の一部と認識したまま大破した。
壬生屋の生体反応がわずかながらも確認できたのが良くなかったのかもしれない。
善行の様子がいつもと違うと気付いた時に初めて壬生屋の状態の深刻さを悟るという、オペレーターとしては何ともお粗末な状況に陥った。
彼が指揮車を降りて最初に見たのは、震える身体を自らの腕で押さえ込む舞の姿である。
すでに壬生屋は病院に搬送された後ではあったが、舞はトレーラーに横たわる一番機から決して目をそらそうとはしなかった。
気丈な彼女に声をかけようとして目に飛び込んでくる風景。
…瀬戸口はコクピットの中の凄惨な光景を生涯忘れることはないだろう。
わずかながらの生体反応。
それはモニターが見にくかったとか不良であったとか、そういうことではないのだと知らしめる光景。
確かに壬生屋はこの場所で命を失いかけたのだと誰もが分かる光景。
体中の全ての機能が停止したかのような感覚に支配され、傍らの舞が何を言っているのかも正確に聞き取れてはいなかった。
ただ「病院に行け」という舞の言葉を振り切って瀬戸口は駆けだした。
今更、壬生屋の側になど行けるわけがなかった。
自分が赦されたいが為にする行動など今更とれるはずがない、それだけを思って駆けだした。
それに自分が救いを求めるとしたら、それは、その相手は・・・
気がつくと瀬戸口はプレハブ小屋の屋上であの人のことを思い空を眺めていた。
あの人と交わした女子供を守るといった約束は、今でも瀬戸口にとっては命以上に大切なものである。
一番機の大破に動揺しない訳ではなかった。
軍規を守ろうという気持ちなど最初から持ち合わせてはいない。
動揺し乱れた精神を冷静にさせたのはあの人との約束を果たしたいという思いである。
大切な思いがあったからこそ壬生屋を失うかもしれない恐怖に目をつぶって善行の補佐役に徹したのだ。
善行に付き従えば多くの学兵を守れる。それがオペレーターとしての瀬戸口の全てであった。
今この瞬間でもこの判断が間違っているとは思わない。
ならば何故こんなにも後悔をしているのか。
…辛い思いを抱えると、いつでもあの人のことを思い浮かべていた。
本当のことを言うならば、もはやあの人の美しい面影などおぼろげにしか思い出せてはいない。
あれほど焦がれていたというのに、唇の形一つも正確には思い出せないのだ。
だから。
ただ約束を守ることだけが、あの人との唯一の絆になっていた。
約束を守る自分という存在だけが、辛い思いを癒してくれた。
怖かった。
あの人を忘れてしまうことが、ひたすらに怖かった。
また逢いましょう。
そう言ってくれたあの人の想い。
逢いたいと切に願う己の気持ち。
そこに何の偽りもなかったはずなのに、あの人の記憶は急速に薄れていく。
約束にしてもそうだ。
最初は心と心の繋がりでしかなかったはずなのに、今は自分を慰めるだけのものと成り果ててしまった。
空が滲む。
涙の理由を瀬戸口は知っていた。
それは壬生屋と情を交わしてから気付かされた、見て見ぬふりをしていた想い。
彼女を失ってしまったら、きっと約束は果たせない。
何をどれだけ否定しても壬生屋を想う気持ちは瀬戸口の全てを支配する。
その想いに抗うことなどもはや出来ないことを彼はついに悟ってしまった。
声にならない声で瀬戸口はあの人の名を呼んだ。
謝罪の言葉を織り交ぜながらあの人の名を呼んだ。
――約束は守ります、だから――
「茜、お前さん天才ってヤツだったよな。これから俺と一緒に訓練しないか?」
運命のあの日、それがいつのことだったのか覚えてはいない。
ただ、その決意の日の翌日に瀬戸口隆之は一番機のパイロットになっていた。