003 春の雪 1  (にら)

風が強い日はあるものの、2月に入り熊本は春の陽気になりつつある。
晴れた天気のいい日は校庭の外れの木陰で寝転ぶに限ると決めている瀬戸口は、胸の上に置いた手の上で小鳥を遊ばせていた。
他にも何羽か、近くの枝から飛んできては肩や頭に乗ったり髪や鼻先をくちばしでくすぐったりと忙しいのを、目を閉じて好きにさせている。
瀬戸口にとって眠りは遮断ではない。一定の浅い呼吸のリズムに合わせて、意識が、五感が流れ出し周りに溶け始める。
地を這い、大気に伸ばされる見えざる手。
聴覚が遠くの風の音を捉えようとして、その時、鳥たちとは違う気配を近くに感じた。
続いて静かな足音。
瀬戸口は目を閉じたくつろいだ姿勢のまま、気配の主を待った。
「隆之さん。寒くはありませんか?」
涼やかな声が瀬戸口の体内の意識濃度を上げる。
膝をついて顔を覗き込む影は、豊かな黒髪の少女。
「そろそろHRが始まりますよ」
少し溜息が入りながらも責める色がないのは、実際はあまり睡眠を必要としない瀬戸口が、眠るという感覚を好む理由を少女もよく分かっているからだ。
手を伸ばした瀬戸口は、壬生屋の髪を一房取り口を寄せた。
ゆっくりと瞼を開けると、微笑む。
「こんな晴れ空、めったに拝めるもんじゃない。教室にこもるのはもったいないってもんだ」
「寝ていたくせに、よく言いますね。あっ…」
今度こそ呆れた口調で言った壬生屋は、いきなり肩を抱き寄せられて瀬戸口の上に倒れこむ形になった。
近すぎる体温に壬生屋の頬が一気に赤くなる。
抱き寄せたのとは反対の手が、壬生屋の顔にかかった髪をかきあげた。
「じゃあ、デートする?」
「――…」
甘い囁きと指先が耳の付け根をくすぐるのを息を詰めて堪え、壬生屋はやっとの思いで口を開いた。
「どうしてそうなるのですか!?」
一度は飛び立った小鳥達が、舞い戻って今度は壬生屋の頭にのった。可愛らしい声でさえずる。
「お山の梅がいい枝ぶりだそうだ」
「え?梅、ですか…」
こぶしで一生懸命に瀬戸口の胸を押していた壬生屋の力が一瞬緩む。
春の訪れを告げる樹木の芽吹きや草花のほころびは実に多種多様で、想像するだけで楽しい。
中でも梅は早春を開く代表格だ。その優美な姿と香りは見るものを幸せな気持ちにさせてくれる。
でも、と壬生屋は頭を振った。
誘惑を振り払って抵抗を再開する。
「いえ、だめ、駄目です」
逃れた瀬戸口の腕を取って、壬生屋は立たせようと引っ張った。
「授業に行きましょう。学生の本分は勉学です」
「だから、社会勉強」
「隆之さん」
ようやく立ち上がったものの、器用に片目を瞑って言う瀬戸口に壬生屋は眉を吊り上げる。
「そう怖い顔しないで、笑ってくれないかな?お嬢さん」
何処までも余裕の姿勢を崩さない瀬戸口は、壬生屋の頬を両手で包んで顔を覗き込んだ。
誰のせいですか、とまたも顔を赤くして呟くしかない壬生屋の目尻にキスをする。
「――!」
「座学はいつでもできるが、梅は今の季節しか見れない。――さ、そうと決まれば”善は急げ”だな」
完全に固まってしまった隙をついた瀬戸口は、壬生屋の腰をさらうことに成功した。
足が地に着いていないままの彼女を誘導し、校門の方に向かう。
「決めてませんし、善ではありません~~っっ」
後には、壬生屋の悲鳴だけが残った。

※管理人注釈。全3話です。