めまいを感じながら壬生屋はゆっくりと教室へ向かう。
立て付けの悪い引き戸を開けると、暗闇の中で白衣が揺らめいていた。
現在の時刻を多目的結晶で調べながら、壬生屋は小首を傾げる。
「何故あなたがここに…」
しかし疑問は最後まで言い切ることが出来なかった。
致命的な人違いをしてしまったことを悟って壬生屋の表情は凍り付く。
――壬生屋は白衣を見て瞬時に岩田を思った。
しかしそれは闇夜でも妖しく煌めく紫の瞳を持っていた。
息をのむ壬生屋に構わず、男は静かに問いかけた。
「今日は何体幻獣を殺戮したのかな」
人類側劣勢の状況下でエースパイロットを批難する、壬生屋の唯一で全ての男。
男から発せられる辛辣な言葉が彼女の絶望に拍車をかける。
…瀬戸口からの厳しい言葉はいつまで経っても慣れるということがない。
「私、300という数字以外に興味はありませんから」
かろうじてそれだけを口早に答えると机に掛けてある鞄に手をやった。
壬生屋が絢爛舞踏を目指すと公言してから一週間。
その発言直後から速水と舞の乗る士魂号の機体性能が急降下し、戦場はまさに壬生屋の一人舞台となっていた。
あまりに絶妙なタイミングに壬生屋の工作を疑う者は絶えなかったが、それを加味しても彼女が殺す幻獣の数は飛躍的に増加しすぎていた。
明らかに幻獣の出現率が高くなっているのである。
理由はよく分からない。
絢爛舞踏の出現を望む芝村の陰謀だとか、絢爛舞踏の出現を望まない共生派の陰謀だとか、色々言われているものの、真相は藪の中だ。
ただ壬生屋未央というただの少女が死をもたらすことだけが真実であった。
「待てよ」
壬生屋より先に瀬戸口の手が彼女の鞄を取り上げる。
「なにを…!」
「お前は何の為に戦い続ける?」
呼吸が止まる。
空をきった指先がゆっくりと壬生屋の胸に戻ってきても、まだ彼女は動けないでいた。
瀬戸口は身体を覆っていた布を壬生屋の方に掛ける。
白衣だと思っていたそれは、ただの真っ白なシーツであった。
掛けられた布を呆然と見つめている彼女を瀬戸口は掻き抱く。
それは壬生屋を包んでいるようでもあり、壬生屋に縋っているようでもあり。
ただ言えるのは壬生屋の世界が瀬戸口一色に染められたという事実だけ。
「…人類の勝利の為に…戦う理由はそれだけです…」
彼の熱と匂いに心を奪われながら、かすれた声で答える。
満たされる気持ちが戦意を喪失させていくのを感じながら、今だけはそういうものに委ねられていたいと望む自分に気付く。
いけない、こんなことでは――
瀬戸口の手の内から逃れようと身を捩る。
しかしその動きですら封じ込まれ二人はそのまま床に倒れた。
シーツで覆われた空間に、二人の熱だけが行き交っている。
逃げだそうとする壬生屋の気持ちは、瀬戸口の顔を見るだけで萎えていく。
側にいたい、本当は側にいてあなたの世界を救いたい。
言えるはずもない言葉をぐっと呑み込み視線をそらす。
それでも少し寂しそうに彼が笑ったのに気付いてしまう。
「人類の勝利もいいけどな。その為に、お前が他の男を頼るなんて、俺には我慢出来そうにないんだよ」
狭い空間で瀬戸口が更に密着してくる。
お互いの鼓動が体感出来るほど近く。
意識は朦朧として。
「な、何を仰っているのか分かりませんわ」
「お前のような女が、たった一人で絢爛舞踏を目指せるわけもないだろう?」
力任せに立ち上がろうとしても、壬生屋の黒髪が瀬戸口に絡みついて離れない。
「そいつは俺よりいい男かい?」
嫉妬の色を混ぜながら瀬戸口は囁く。
「ふっ、ふ…」
お決まりの台詞を言おうとした唇は、瀬戸口のそれに塞がれて吐息だけを漏らした。