壬生屋は一番機のコックピットに滑り込み、目を閉じていた。
「………」
瀬戸口から投げつけられた言葉を反芻すると、ふいに涙がこぼれおちた。
冷たい指先で目頭をぐいぐいと押さえつけながら、声が出そうになるのを必死にこらえる。
こうなったのは自業自得なのだと壬生屋は自分に言い聞かせ、気持ちが鎮まるのをただ待った。
最近の瀬戸口はまるで「当たり屋」だ。
攻撃されるきっかけは、笑えるくらい些細な事ばかり。
今日は、若宮と会話を交わしただけだというのに捕まってしまった。
「お前さんの声は耳障りだな」
一人になった瞬間に肩を強く掴まれて、壬生屋は思わず眉をひそめた。
「なぁ、男に色目なんか使うなよ、お嬢さん…いちゃつくなら他所でやればいいだろう?」
馬鹿げた言いがかりだ。
壬生屋から恋われていることを知った上でのこの暴言。
言い返す気力もなく唇を噛みしめた彼女に、瀬戸口は告げた。
それは冷たく感情のこもらぬ声で。
ただ一言「顔も見たくない」と。
どうして。いつから?
心当たりはひとつだけ。
壬生屋は震える肩を抱きしめて、小さく呻く。
瀬戸口に対する怒りが胸に燻っているというのに、何故か思い出すのは異様に光る紫の瞳だけ。
かつて一度だけ強く抱きしめられた思い出が、壬生屋の心を熱く蝕む。
あの人が愛を囁く相手など、星の数ほどいるのだろうけれど、彼の弱さを、醜さを知る女は、この世の中で私だけ…
あの日、瀬戸口は壬生屋を抱きしめながら泣いていた。
「嫌いだ」と言い募るその声は、まるで愛の告白をしているかのように甘かった。
――だから私は自惚れてしまう。
いつの間にか涙は止まり、口元には静かな嘲笑が浮かぶ。
いや、違う。
本当は知っている。
瀬戸口の本能を利用したのは自分自身。
全てが終わるまで口を閉じ、我に返った彼の心に罪の意識を植えつけた。
彼を手放したくないという壬生屋の妄信が、この不毛な牢獄を作り上げたのだ。
我ながら情けないと分かっている。
瀬戸口を好きだと思うのならなおのこと。
身の丈に合わないこんな駆け引きは、すぐにやめるべきだと、壬生屋の理性が告げている。
瀬戸口という男は、他人を泣かせて平気でいられるほど、強い人間ではない。
きっと今頃は、深い悔恨の底に沈んでいることだろう。
可哀想に、と彼を思う気持ちに嘘はない。
だが駄目なのだ。
たった一日の出来事が、今となっては二人の絆の全てであった。
このままで良いはずはないというのに。
こんな関係は歪んでいると知っているのに。
手段を選ばず彼の「特別」になった己の全てが汚らわしいと思うのに。
壬生屋の感情は、それでもいいのだと声高に叫ぶのだ。
ふぅ、と大きく息を吐く。
肩を抱きしめた己の手が、瀬戸口の痕跡をゆっくりと辿る。
痺れるような痛みが壬生屋の身体を支配する。
「瀬戸口くん…」
正気の沙汰とは思えない。
傷つけ合う刺激すら恋心に変えてしまう自分のことが、壬生屋は誰より恐ろしかった。
彼の心に巻き付けた鎖は、どれほど重く、固く結ばれているのか。
コックピットの扉を開けると、目の前に不安に怯えた紫の瞳が見えた。
瀬戸口を解き放つ決心は、まだ、つきそうにない。