078 コンプレックス  (もぞ)

僕にとっての希望や理想がどこかの誰かにとってもそうだとは限らないよね。

聞こえなければ良い、と思って呟いた言葉を舞は正確に読み取った。
「埒もない。そなたは考えすぎだ」
いつもどおりの返答に速水は微笑んだ。
速水の複雑な感情が曖昧な笑顔で表現される。
舞の自信溢れる言葉を頼もしいと思う反面、幼いとも思ってしまう。
「あは、そうだね…」
一応の肯定をしてみせて、速水はいつものように決意する。

――僕が舞の世界を守ってみせる――

この世に希望があるのだというのなら、それはどんな姿形をしているのだろう。
現実を受け入れるしかない世界を生きてきた速水にとって希望も理想も明るい未来も到底信じられる物ではなかった。
それらを信じられる人間は世間知らずでおめでたい愚者だと認識していた。
だからこそ真顔で世界征服を唱え「支配者として民を守る」と宣う舞の姿を見たときは目眩を感じてしまったものである。
なぜなら速水にとって芝村舞は愚者とは程遠い存在だったのだから。
「本気、で言ってるんだよね、多分…」
動揺を隠しきれず質問した速水に対して、舞は清々しいまでの尊大さで「当たり前だ」と応えたものだ。
「世界征服の第一歩として幻獣との戦いに必ず勝利する。我が民を傷付けることが万死に値するのだと思い知らせることが当面の目標だ」
幻獣に後悔といった類の感情があるものだろうか…という疑問をぐっと飲み込み、ひたすらに真っ直ぐな舞の姿勢を眩しく思った。

世間知らず、それはそうだ。
おめでたい、違和感は感じるが多分そうだ。
でも愚者じゃない。
舞は自分の希望の為に決して努力を怠らない。
努力の出来る人間は愚者などと呼べはしないのだ。
速水はすぐに悟った。
芝村舞という少女が、自分の持っている心の物差しで量れるような矮小な人物ではないということを。

最初はこの大人物に守って貰えることを期待した。
仲良くなるにつれて彼女が炎よりも純真であることがわかってきた。
彼女は無垢な者だけが語ることの出来る言葉をたくさん持っていた。

彼女を汚しては良くない、いや汚しては駄目だ。

「守られたい」が「守りたい」に変わるのに、さほど時間はかからなかった。
光の当たる場所で舞が歩いていけるように。
日の当たらぬ場所に舞が迷い込まないように。
何よりも舞が気高く綺麗な存在でいられるように。
舞が「現実」に傷付けられないよう注意深く手を差し伸べる、それが眩しい彼女の側にいる為の唯一全ての方法だと思っていた。
希望を信じる舞と現実だけを見つめる速水。
そうやって補い合っているのだと思うことで速水の心は平穏を保てた。

だから…速水は気付かない。

舞が望む世界が、未来が、所詮はおとぎ話だと、侮っている自分に気付かない。
舞が芝村であることも、芝村であるからには権謀術数に長けていることも、「希望」の為の努力が美しいモノだけではないことも。
大事なことは何一つ速水の目には見えていない。
彼女が民と呼ぶ人間の中に速水自身が組み込まれているのだという認識がいつの間にか抜け落ちてしまっていた。
舞こそが彼を見守り育てている、それが現実なのである。

舞は思う。
何かを決意することは良いことだ。
例えそれが勘違いの産物であったとしても。
「私に支配される民なのだ。私の魂胆の片棒を担ぐそなたの希望を受け入れられないはずがない」
「そうかな」
「そうだ。努力に裏打ちされた自信は決して揺るがない。自信を失うことがあるとすれば、それは努力が足りないことだと肝に銘じておくがいい」
相変わらず速水は曖昧な笑顔で頷くが、今はそれでも良いと思う。
そのうち速水は気付くだろう。
彼の見る現実とやらが彼自身の心が生み出した想像の産物であるということに。