058 神様  (もぞ)

プレハブ校舎の屋上に寝転がり夜空を見ていると、誰かが階段を上ってくる音がした。
その不自然な足音に瀬戸口は困ったことになりそうだと思わず笑みを浮かべた。

きゅっ、きゅっ…

ゴム底の靴が金属製の足場と摩擦して音を出す。
規則正しいその足音は真っ直ぐに瀬戸口の真横にやって来た。
「ここにいたんだね」
来訪者の声に返事はせず、ただ右手をひらひらと振ってみせる。
「…隣、座るよ」
ため息交じりに腰を下ろしたのは速水厚志――瀬戸口が何故か放っておけない少年戦車兵である。
「お疲れさん」
瀬戸口は空を見たまま声をかける。
「え?」
「わざわざ足音鳴らしながら歩くってのも、結構疲れるもんだろ?」
「何を言っているのか分からないけど…?」
「自分の痕跡は足跡でさえ残さない方が得意だろ、お前さんは」
「…随分と知った風な口をきくんだね」
「バンビちゃんのことは何でも知ってるんだよ」
あはは、と笑って茶化してみせる。
速水は笑わず、素の表情を晒した。

どこか冷たい表情に驚きを感じる瀬戸口ではない。
そういう表情を見せる速水の覚悟をやっかいだと感じている。
こいつは何を言いに来たのか――いや、考えても仕方がないか。
瀬戸口は天空に意識を集中させる。
自然に抱かれてちっぽけな存在になることが、瀬戸口には心地よかった。

「空ばかり見てるんだね、いつも」
「世界平和ってやつを祈っているのさ」
「…何に祈るの?」
「神様、かねぇ、やっぱ」
「信じてるの?」
「何を?」
「神様の存在を」
どこか批難するような口調に瀬戸口は笑う。
笑い声が癇に障ったのか、速水の纏う空気が一層重たくなってきた。
一体何が気に入らないのやら…
速水は幻視技能も翻訳プログラムも持っていたはずだが、と瀬戸口は首を傾げた。
「俺は芝村が嫌いだが…あの一族の良いところを知っている。それは自分の目で見たものをありのまま受け入れられるということさ」
「………」
「神様はいるのさ、速水。アテには出来ないがな」
ゆっくりと身体を起こし、ようやく瀬戸口は少年と向き合った。
教室にいるときとはうってかわって無表情な速水を漠然と眺める。
「瀬戸口、アテに出来ないものに祈るのは無駄な行為だよ」
静かな、でも畏怖を感じさせる声。
「それに僕は芝村の良いところは欲しいものを手に入れる為の努力を惜しまない所だと思ってるから」
挑発的な態度…日頃の速水を知っているものは皆、面食らうであろう鋭さだ。
「だが速水、努力しても手に入らないものも存在する」
「それでも努力をするのが芝村だよ、瀬戸口」
「…じゃあ俺は芝村ではないってことだな、めでたいことに」
「………」
「まぁいい。芝村論争をしにここに来たわけではないんだろ?」

速水の動きが一瞬止まる。

「なぁ、俺に何を求めてる?」
本題に入る瀬戸口の言葉に速水の睫毛が微かに震えた。それでも強い光を瞳に宿し、顔を上げる。
「俺を説得したいなら、小手先の策は逆効果だ」
「そうみたいだね」
深い青の瞳は、一呼吸おいて瀬戸口の視線を捕らえた。
「瀬戸口、でも僕は君を説得したい訳じゃない」
「そういう態度で言うのかよ」
「僕は舞の世界を守りたい」
「へぇ。それはまた…」
「その為には瀬戸口が僕と一緒に戦う必要があるんだよ」
「はは…それってつまり、お前さんの手下になれってことかい?」
「はっきり言うとそういうことだね。空ばかり眺めて、何かに祈り続けられるのは、僕にとっては正直言って時間の無駄だからね」
困ったなぁ、と瀬戸口は笑う。
速水は笑わずに返事を待つ。
「…俺はもう、誰の人生にも介入はしたくないんだが…」
「否定は許さない」
予想どおりの言葉が速水から発せられる。
さてどうしたもんか、と瀬戸口は再び夜空を眺めた。
――傍観者を決め込んでいるそこの神様、俺はどうしたらいいでしょう?
新しい伝説になるであろう少年が、よりにもよってこの俺に希望を抱いているなんて。

「まいったね…だったら…」
瀬戸口は決心して深呼吸をした。
「だったら神様は信じとけ」
「まだそんなことを…!」
「お前が正しければ、きっと俺たちを助けてくれる」
真面目な瀬戸口の態度に、速水の怒りもひいていく。
「信じれば、瀬戸口は僕に協力してくれるんだね?」
「ああ。勝率も上がるってもんさ」
「分かった、神様は信じるよ。でも祈ることは出来ない」
「それでいいのさ。祈られても、あいつらだけでは何も出来やしないんだからな」
神々に聞こえるように瀬戸口は大声で答える。
「ま、お前さんに俺は使いこなせないとは思うが…多分、神様はお前の手下になってくれるさ」
階下ではブータがブミャーと鳴いて不快感を露わにする。
ささやかな抗議に瀬戸口は苦笑した。
「…舞の意に沿わない行動をとるなんて、そんなことさせない。それが例え神であっても…」
輝きを失わない青の瞳が、その時の瀬戸口にはただひたすらに眩しかった。