036 まなざし  (もぞ)

(茜×ののみ)

軽い金属音が茜の足下に響いてくる。

コンコンコンコン・・・

振り返らずとも音の発生源はすぐにわかった。「大ちゃ~ん!」甘ったるい声。

カンカンカンカン・・・

鈍かった音は軽さを伴い、そろそろ彼女が「居場所」に到達することを教えてくれる。

「やっぱり大ちゃん、ここにいたのよ」

ひょっこりと階段から姿をあらわしたののみは嬉しそうに茜に飛びついた。

「うわっ!こ、こらっ、危ないって!」

線の細い茜は瀬戸口のようには彼女を受け止めてあげられない。それでも倒れなかったのは彼の意地の賜であろう。

「えへへ~ぎゅうなの」

「やめろっ、馬鹿っ」

ののみを体から引き剥がし、いつも彼女のために用意しているミカン箱のケースに座らせる。

「きょうもおそらはあおいですね」

「あぁ」

「でも、きょうも大ちゃんはむねがいたいのよ?なんでですか?」

見上げてくる彼女の視線を目の端にだけとらえ、茜はまっすぐに前を見ている。

かつてプレハブ小屋の屋上といえば瀬戸口の定位置だった。今は茜の「居場所」になっている。

茜は思う。

瀬戸口がここで見ていた空と、自分がここで見ている空は、多分違わない。見ながら胸に秘める決意は、きっと同じものだ。

「東原と違っていろいろ考えているからな。胸も痛むんだよ」

「でもでも、いたいのはめーなのよ、大ちゃんがくるしいの、やなの」

「何でお前がイヤなんだよ、馬鹿」

表情は変えずそっけなく答える。照れ隠しだと言うことは彼女には伝わってしまっているだろうが、見せかけだけでも虚勢を張りたかった。

ののみのまなざしは、まだ茜の顔に向けられている。

「守りたいものが出来たら、多少の犠牲は仕方がないんだよ」

「ぎせい、ですか?」

「そうだ、犠牲だ」

そう、瀬戸口は大事なものを守るため「傍観者」であることをやめた。パイロットになった彼はまさに鬼神のような活躍で戦況を盛り返している。

「僕は僕を犠牲にする。僕の全てを賭けてこの国を・・・大切な人を守りたい。今までだって思ってなかった訳じゃないけどな、僕には覚悟が足りなかったんだ」

「ぎせいになったら、大ちゃんはらくになれますか?それはただしいせんたくですか?」

「・・・・・」

目の端に映るののみの表情はとても悲しげで、それはそれで決心が揺らぎそうになる。

「ふん、犠牲の意味も知らないくせに泣きそうになるなんて、まったく東原はどうかしてる」

「わかるもん!」

「お前のそんな顔、見たい訳じゃないんだからな。笑ってろ」

しかしののみの表情は変わらない。困ったな、と思いつつ茜はようやく彼女の方に体を向けた。

「・・・大切な人の笑顔を守るために出来うることの全てをやっておきたいんだ。その為にする努力は苦しくても辛くても平気だ。僕が動かなかったことで失われるものの大きさを考えれば、僕に降りかかる全ての事象はたいしたことじゃない。ここで動かなかったら僕は一生自分を許せずに生きていかなきゃならないんだ」

ののみは大きな瞳をしばし揺らめかせた後、ようやく微笑んだ。

彼女の笑顔に安心したのか茜は階下に向かって歩き出す。これから降りかかるであろう苦難を思って痛む心と、大切なものがいつも手の中にあることを思って励まされる心と、ふたつの思いを秘めたまま。

そしてののみは茜の背中を見ていた。

同調能力を持ってしても微笑むことしか出来なかった。彼の望む笑顔は最後まで作れなかった。

「ののみがゆるしてあげるだけじゃ、だめなんですか・・・?」

ぽそりと呟く声は、茜の元には届かない。