『運命の日』  (もぞ)

暦の上では春だというのに、この日の熊本には雪が舞っていた。
いつもは目立つ制服もコートの下にしまい込み、今の瀬戸口はどこから見ても学兵には見えない。
そして――
時計宝飾店の前で瀬戸口はふと足を止めた。
目の端に飛び込んだ鮮やかな赤色に心が動く。
学校の中では見慣れた姿。
でも街中で見るその姿はとても新鮮で。
不意打ちのような出会いに、思わず瀬戸口は口元を緩めた。
――店の中にはどこから見ても学兵には見えない少女が佇んでいた。
少女の名前は壬生屋未央。
瀬戸口とは相容れないクラスメイトだ。
相容れないはずの彼女の姿をみとめて、なぜ口元が緩んでしまったのか、わずか10分足らずで瀬戸口は知ることになる。

熱心にショーケースを眺めている和装の少女とアクセサリーというアンバランスに瀬戸口の思考が巡る。
「あぁ…」
そして瀬戸口は、今日、この日が彼女の誕生日であることに思い至った。
自分で自分にプレゼントとは。
いかにも女性らしい行動をとるものだと勝手に合点して、瀬戸口は店内に足を踏み入れた。
「探し物は見つかりましたか、お嬢さん」
突然のことに驚いたのか壬生屋はハッと顔を上げる。
相手が瀬戸口だと分かると、少し曇った表情を見せてため息をついた。
いつもなら癇に障るその仕草でさえ、今日はそれほど気にならない。
「いえ。別に」
冷たく答える壬生屋の顔を穏やかに見つめる。
瀬戸口の表情が優しいことに気付いた壬生屋は、少しバツが悪そうに笑顔を見せた。
「探し物なんてありませんわ」
見ていたものを隠すように、壬生屋は瀬戸口の視線を遮る。
「でも熱心に見てるよな」
「今日は買い物に来たのではありませんから。時計の修理を頼みに来たのです」
時計?と瀬戸口が首を傾げる。
第6世代の自分たちにそんなものは必要ではない。
「時計って…家の時計か?」
「いえ、懐中時計です。兄が私にくださったのですよ」
懐かしむような、愛おしむような声色。
「私は不器用な性格だから、物事を順序よく考えられないんです」
「それと懐中時計とどう関係が…」
「ええ。何事にも手順というものがあるのだよ、とよく言っておりました。ねじ巻き式の時計を維持する行為が、私の心を落ち着かせる糧になればと思っていたのでしょうね。少し儀式めいた考え方ですけれど、兄は手間をかけることが何よりも尊いと思っていたようなんです」
穏やかに話す壬生屋の顔を瀬戸口は何とも言えない気持ちで見つめていた。
噂に聞く壬生屋の兄。
噂でしか知らない彼は、おおよそ俗物とは遠い存在だと聞いている。
瀬戸口の知る壬生屋は大いに俗物で、兄の噂も皆のイメージの産物だろうと思っていたのだが…兄のことを語る壬生屋を見ているとどうやら噂通りの人物であったことが伺い知れて、何故か面白くなかった。
「学兵になってからは時計を手入れする時間もなくなってしまって、不具合がないかどうか見て頂いているのです」
彼の心の内を知らない壬生屋は饒舌に語っている。
これほどしゃべる壬生屋を見るのは初めてで、そうさせる兄の存在に瀬戸口は舌打ちしたい気分になった。
「なるほどねぇ」
上の空で呟きつつ壬生屋が隠したショーケースに目を移す。
壬生屋が熱心に見ていた一角にはイヤリングが陳列されている。
「ところで壬生屋、イヤリングとかするの?」
「え…いえ、いいえ、見ているだけです」
「まぁ日頃から胴着か和装なんだろうしな。つけたところで違和感があるよなぁ」
瀬戸口の口の悪さに壬生屋の機嫌は急降下する。
「なっ…そ、そんなことは分かってますけど…!」
「でも、壬生屋が洋装すれば、きっとこれなんか似合うと思うなぁ」
瀬戸口は店員を呼び付けて小さなアメジストが入ったシルバーのイヤリングを出して貰った。
「これなら壬生屋の目の色と喧嘩しないし、何より品があると思うんだけど、どう?」
「ど、どうって…そんなこと…」
「つけてみてもいいかな?」
店員に了承を取って、瀬戸口はイヤリングをそっと壬生屋の耳に近づけた。
「なっ、何をなさるのですかっ!」
「何って、つけてみないとイメージわかないだろ?」
「そうじゃなくてっ!わ、私、自分でつけますから、瀬戸口君はじっとしていてください」
半泣きの壬生屋は彼の手からイヤリングを取り上げて、自分の耳に装着した。

豊かな黒髪。
青い瞳。
そして紫色の欠片が入ったイヤリング。

その対比に満足して、瀬戸口は微笑んだ。
「やっぱり似合うと思ったんだよな」
「…そうでしょうか…」
「気に入らない?」
「…そんなこと…」
うつむいた顔を下から覗き込まれて壬生屋は赤面する。
彼の目も、鏡越しに映るアメジストのイヤリングも、注視することが出来ない。
瀬戸口隆之という男は何て狡いのだろう――私はどうしてこんなにも調子を狂わされてしまうのか…でも本当に狡いのは私なのかもしれない…だってそんな瀬戸口君のことを、私は、私は…――
ぐるぐると考え込んでしまった壬生屋の姿に、瀬戸口は意を決した。
「すみません、このイヤリングを包んでください」
「かしこまりました」
店員は笑顔で壬生屋に声を掛ける。
「お客様、失礼致します」
彼女の耳からイヤリングを外し、粛々とラッピング作業に入っていく。
それをぼんやりと見ていた壬生屋は、ようやくそのイヤリングを瀬戸口が購入したことに気付いた。
「どなたかに差し上げるのですか…」
「どなたって、お前…壬生屋にプレゼントだよ。誕生日だろ?今日は」
誕生日、という言葉に声が詰まる。
どうして知っているのかという問いは、口については出てこない。
かわりに壬生屋の口から発せられたのは否定の言葉であった。
「こんな高価なもの頂けませんっ」
「高価って…大した金額じゃないだろ」
「私の方が高給取りですっ。私より給料の低い方に買って頂いても気が重くなるだけです」
「俺はそんなの気にしないから」
「だ、だいたい、何の理由もないのに買って頂くわけには…」
「だから今日は壬生屋の誕生日なんだろうが。わかんないお嬢さんだな」
口では瀬戸口に敵うはずもなく、壬生屋は押し黙るほかなかった。
プレゼント――嬉しくないはずがない。嬉しい。すごく嬉しいのに。
その気持ちは自然と口をついて出たようで、瀬戸口の優しい声がかえってくる。
「壬生屋はプレゼントをとても大事にしてくれそうだから、俺も嬉しいよ」
「で、でも…やはり物を頂くのは…」

「…誕生日を祝ってくださるのなら、今日一日だけでも私と一緒にいてくださる方が…」

混乱した気持ちが、ついに本音を吐露させる。
発せられた言葉の重大性に気付いた壬生屋は思わず手を口にやった。
瀬戸口が少し苦しそうな顔をした。
この表情は知っている。
学校で毎日見る表情だ。

「…悪いが、その提案はきけないな」

言葉無く立ち尽くす壬生屋の方を見向きもせずに瀬戸口は会計を済ませた。
時計は明日とりに伺います、と店員に告げて強引に壬生屋の腕をとり店外に出る。
外は雪が舞っていて、ひどく寒かった。
「…壬生屋」
「はい」
「泣くな」
「泣いてなんか…」
声をあげず、涙だけを静かに流す壬生屋の頬にそっと触れる。
「泣いてるよ」
「――泣かせたのは瀬戸口君、あなたです」
「あぁ、知ってるよ」
その口調はどこまでも優しく、声色はどこまでも甘く。
そう感じるのは、自分がそうであって欲しいと願っているからなのだと分かっていても瀬戸口に惹かれずにはいられなくて。
どうあっても報われない想いに押しつぶされて涙を流してしまうのだ。
「でも、俺も泣きたい気分だと言うことを壬生屋は知らないんだろうな」
呟くような瀬戸口の言葉。
頬に触れた彼の手を壬生屋はそっと握りかえした。
瀬戸口はその手を振り払い、紙袋に入った小箱を取り出した。
イヤリングの入ったその小箱を自分のコートのポケットにしまい込む。
ひどくゆっくりな彼の所作がとても寂しい。
「物より思い出、とは言うけどな。たかだか一日だけの思い出を作るなんて、俺はそんなの願い下げだ。人間、思い出だけで生きていくのは辛すぎる。それに…」
瀬戸口は言葉を呑み込んだ。
「それに…?」
促されても赤面するばかりで言葉が続かない。
いつのまにか壬生屋の涙はとまっていた。
「瀬戸口君…?」
何でもない、と逃げようとする瀬戸口のコートを壬生屋は強く引っ張った。
ここで逃がしてしまっては、もう二度と二人きりの時間を過ごせないような予感がした。
一歩も引けない壬生屋の必死な形相に、くすくすと瀬戸口は笑い出す。
「参ったなぁ…」
もう逃げないから、と今度は自分から壬生屋の手を握りしめる。
「…それにな。物でも一番になりたい、なんて、思ったわけだよ」
「は…い?」
「だからプレゼントを拒否されて、懐中時計の男に嫉妬した」
きょとんとする壬生屋の顔も赤くなっていく。
「きっと俺は欲深いんだ。思い出だけでは満たされないし、自分だけを見て貰えないと意地を張る…ごめんな、壬生屋を泣かせたかったわけじゃなかったんだ」
それにしても寒いな、と瀬戸口はおもむろにコートを脱いだ。
細い壬生屋の肩にコートを掛ける。
今日はもう帰る、と口早に言う瀬戸口に、壬生屋は慌てて声をかけた。
「瀬戸口君、私、あなたに良い提案があるんです――」
続けられた壬生屋の言葉に、瀬戸口は嬉しそうに頷いた。

そして、運命の日はやってくる。
2月14日――壬生屋は己の耳朶に紫色を煌めかせながら男物のコートを羽織って登校してきた。
手には小さな菓子箱。
向かうは屋上。
そこにいるのは落ち着きのない瀬戸口隆之。
まだ何も始まっていないのに照れている彼の態度が可笑しくて、壬生屋の笑みはますます明るくなっていく。
「…そんな顔で笑うなよ…」
肩をすくめて瀬戸口も微笑む。
彼女の屈託のない表情を見るのは初めてかもしれないな、と思うだけで、これからの自分の人生が開けたような気がしてくる。
壬生屋未央を知る楽しみは、きっと何より自分を満たす。
「さぁ、良い提案とやらをじっくり聞かせてもらおうか」
瀬戸口の前にゆっくりと菓子箱が差し出される。
頬を染めて、でもとても嬉しそうな壬生屋は、はっきりとした口調で彼に告げる。

「あなたをお慕いしています」
だから――

長い長い告白はまだ始まったばかりだ。