『白い狂想曲』  (もぞ)

芝村舞の鋭い視線をものともせずに、速水を後ろから抱きすくめた瀬戸口は、ワタワタともがく速水に弾む声でこう言った。
「明日はホワイトデーなわけだよ、バンビちゃん」
怪訝そうな顔で速水は瀬戸口を見上げる。
「何なのさ、唐突に」
「今度こそ文句なしに彼女へプレゼントを贈るチャンスなのさ」
「「は…?」」
仲良くハモる速水と舞をよそに、瀬戸口は演説を始めた。
「壬生屋の誕生日な、あれ、バレンタインデーの直前だろう? 何かと都合が悪くて、彼女に心からの贈り物をしてやりたくても、あの時期じゃチョコ欲しさに点数稼ごうとしてるんじゃないかって邪推されちまうわけだよ、分かるかい?」
「そうかなぁ、そういう方向に邪推するような人じゃないと思うけど」
「アイツは俺の好意を曲解することにかけては世界一なんだよ」
「そうだとしても、それは瀬戸口の自業自得なんじゃないのかな」
「…ともかく、俺は別にチョコとか見返りが欲しいわけじゃない。いや、物にせよ気持ちにせよ、彼女からは何一つ返して貰いたくはないんだ」
様子を見守っていた舞が不快そうに咳払いした。
「自分勝手で我が侭な物言いだな」
「幸せなお二人さんとは事情が違うのさ」
お得意の人好きのする笑顔で非難を回避しながら瀬戸口は続けた。
「つまり、だ。俺の気持ち…好意だな、これだけを彼女に伝えるためにホワイトデーにプレゼントを渡すわけだ。問題はただ一つ。チョコレートを恵んでもらえなかったのにホワイトデーの『お返し』をするというのは、少しばかり世間の常識に反していて、不自然に思われるかもしれないということなんだ」
少しばかり、と言うには大きすぎる問題に、速水は溜め息をつくしかなかった。そんなまわりくどいことをせずに、正面から堂々と好意を伝えればいいだろうに、とすら思った。しかし瀬戸口の心にまで介入してやる義理もないと思い直し、速水は結論を急ぐ。
「…で、僕にどうしろって言うの?」
「お前さんの家事技能でパパッとクッキーを焼いて、それを小隊の女子たちに配ってくれ。俺はそれに便乗するから」
「えー? イヤだよ、僕は舞以外の人にホワイトデーのプレゼントなんて贈らないよ。それに、そういうのは中村くんが得意なんだから彼に頼みなよ」
「中村は駄目だ。アイツにだけは借りを作りたくない。頼むよ、バンビちゃん、いや、作ってくれたら、もう二度とバンビちゃんって言わないし、そうだ、こうやって抱きついたりもしないから、な?」
「えー…」
ちらりと舞の様子を窺う速水。舞は、相変わらず瀬戸口の腕の中から逃れきれないカダヤを、不機嫌そうに眺めているだけだった。
「…しょうがないな…これっきりにしてよね、色々と」
最後の部分を強調しながら渋々と頷いた。そもそも舞にはケーキを焼く予定だったし、もちろんケーキだけというつもりもなかったから、瀬戸口の頼みを聞き入れたところで、ことさら手間が増えるわけでも、ケチがつくわけでもなかった。
「あぁ! ありがとう速水、さすがは俺の見込んだ男だ」
大袈裟に謝辞を述べる瀬戸口の雰囲気は心なしか安堵に満ちあふれていた。
少し良いことしたかも、と速水は思わず微笑んだ。

「――方向性が定まったところ、悪いのだが」
安堵する二人に、舞は静かに語りかけた。
「ときに瀬戸口、そなたの誕生日は一ヶ月以内に到来すると思ったが?」
「ああ、4月8日だ。よく知ってるな」
「気付いておらぬのか」
「何のことだ?」
「たわけ。壬生屋がそなたの思うとおりの人物だとしたら、愚かで浅薄な男子が、自分の誕生日を祝って欲しくてこのようなことをするのだと邪推するのが道理ではないか」
事態が解決したと思っていた二人は、まさに冷水を浴びせかけられた面持ちで沈黙した。
やがて沈黙に耐えかねて、瀬戸口はぎゅうっと速水を抱きしめた。
「いて、いてて!」
「どうしたらいいんだろう、バンビちゃん…」
思わず悪寒が走る速水。それなのに逃れきれない己が恨めしい。
助けを求めるように舞を見たが、もうその場にはいなかった。付き合いきれないとばかりにその場を立ち去ってしまったのだった。