確かに言われはした。
けれど、はっきりと断ったのもまた確かなこと。
「付き合ってくれ」
瀬戸口からのその提案に、壬生屋は二、三度、ゆっくり瞬いた。
「……今から、ですか?」
「俺はそれでもいいけど」
また随分と投げ遣りな頼み方だと呆れつつ壬生屋は続きを促す。
「で、何に?」
「何って俺と」
「ですから。訓練ですか? 整備ですか? ああ、それとも、どこかへ買い出しにでも?」
「ちがうって。まぁ、どこかは、追々行くとして」
「追々?」
「だからデェト」
「は?」
「いわゆる、お付き合い、ってのを申し込んでるんだけど」
「……何の付き合いですって?」
「あのさぁ、そうやって、はぐらかそうったって無駄だから。普通、この流れで男女交際っての以外、他に何があるんだよ」
「この流れだからこそ、理解出来ないのでしょう!?」
堪らず壬生屋は言い返した。
他の男子から同じように切り出されたのであれば素直にそう思えたことだろうが、この流れにこの相手なのだ。
「付き合ってる男なんていないよな」
「勝手に決め付けないで下さいっ」
「それくらい見てればわかるって。ああ、じゃ、好きなヤツはいるとか?」
「…あ、な、何を言ってるんですか!」
「答えられないところを見ると、それもいないってことだろう」
「そ、それは――…」
返答に窮する壬生屋に、瀬戸口は得意満面で頷く。
「つまり、俺と壬生屋が付き合うのに何の問題もないわけだ」
「大有りでしょう! ふざけるのも大概にして下さい」
「ふざけてない」
「どこが!?」
「ふざけて、こんなこと言えるわけがない。他でもない壬生屋に」
「――瀬戸口くん、あなたには特別に想う方がいらっしゃるのでしょう? まさか、もう忘れたわけではありませんよね。今、ご自分で仰ったばかりですもの。その方と付き合えたら苦労はしない、と。なのに、舌の根も乾かぬうちに、言うに事欠いて私に交際を申し込むなど、下手な冗談にもなりませんよ」
「だから。冗談じゃないし、壬生屋こそ忘れたわけじゃないよな。誰かと付き合えばいいって言ったのを」
「誰でも適当に、などと言った覚えはまったくありませんが」
「まぁな。ともかく。それで気付いたんだ。彼女がいたら、俺もなかなか優秀な犬のお巡りさんになれるかもしれないってね」
「犬のお巡りさん?」
そういえば、今日、あの小さなクラスメイトがそれを歌っていたのは、ぼんやりと思い出されるのだが。
「壬生屋の話からすると、俺がフリーでなくなれば、恋路に迷う子猫ちゃんたちも減らせて、校内の風紀も守られるってことなんだろう?」
「――よもや、それで、私にあなたの恋人を演じろ、とでも?」
「そこまでは言ってないけどな」
と、おどけるように肩を竦めながら軽く笑う瀬戸口の姿に、壬生屋の心は著しく冷え込んでゆく。
「……よくも、まぁ、そのような破廉恥な発想が出てくるものですね」
「そのヒントを作ったのは壬生屋、お前だけど?」
表情だけなら至って上機嫌とも言えただろうが、壬生屋の目にはその綺麗な笑みが意地悪く映ってならなかった。
この小隊が発足して以来、彼には数え切れないほど苦言を呈してきたが、これはその比に非ず。
壬生屋は今までになく冷ややかな声音を目前の男に浴びせた。
「……どうして、私なのです? たまたま、今、目の前にいるのが私だからですか? 場当たり的に決めたところで、私があなたの交際相手などと、どこの誰が信じるというのです。このような不心得を勧めるわけではありませんが、どうしてもというなら他を当たって下さい。中には進んで引き受けて下さる方もいらっしゃるかもしれませんよ」
「確かに場当たり的には違いないが、誰でもいいわけじゃない。壬生屋だからだよ」
唖然とする壬生屋に瀬戸口はこれ以上ないしたり顔を見せた。
「ほら、言うだろ、喧嘩するほど仲がいい、ってさ。日頃の俺らからすれば、結構すんなり受け入れられると思うんだ」
それは、さも優秀な営業然とした口調で。
「仮に他の誰かに頼んだとしても、そのうちヘンに期待とか抱かれたりして、こじれるとも限らないが、壬生屋相手なら、その心配も皆無だしな」
淀みなく。
流される感情もなく。
これを男女交際の申し込みだと言ったのは誰だったか。
「いくら俺でも、端から応えられもしない相手と付き合ったりなんかして、その子を全く傷付けない保証はさすがに難しいよ」
「――ひとつ伺いますけど」
これは彼に手を上げないため。
決して震えを隠すためなどではなく。
右腕を左手で抱くような格好できつく押さえ付けている理由はただそれだけ。
そう自分に言い聞かせながら、努めて冷静を装い壬生屋は尋ねた。
「このことが、その、あなたの想う方の耳にでも入ったらどうするのです?」
その問いに、さしもの瀬戸口も微かな苦笑とともに本音を洩らす。
「それで気にかけてくれたら嬉しいかもな」
「……あなたが、そういう態度でいるから、叶わないのでは?」
そうとしか思えず、壬生屋は低く呟いた。
「――想われているのですか、その方に」
そんな姑息な手段で以って気を惹こうとするような相手なのに。
「想われてるよ」
返ってきた答えは、あまりに簡潔で。
「誰よりも、一番に」
迷いのない言葉。
どうして、こうも真っ直ぐな視線を寄越せるのだろう。
逸らすどころか、悪びれもせず、しっかりとこちらに絡ませてきて。
せめて、ここで動揺のひとつでも見せてくれたなら、まだ良かったのに。
「――ま、そういうわけだから、俺と付き合って」
「お断りします」
間髪を入れず壬生屋は答えた。
それ以外にどんな答えがあるというのか。ここまで聞かされて。
それでも、まだ、一縷の望みを持たずにはいられない自分は、とんでもなくお目出度いのだろう。
「……とても、正気の沙汰だとは思えません。一体、どこまで本気で仰っているのです…?」
「ちゃんと正気だし、最初から最後まで本気で口説いてる」
何を疑うのかと言わんばかりの目を向ける彼のその神経が壬生屋には信じられなかった。
瀬戸口の言葉を聞くほどに、それが同じ言語で話されていることすら疑わしく思えてくる。
殊更目に力を入れるようにして彼を見据えながら、今が放課後であることにのみ、ささやかな慰めを見出していた。
きっと、この黄昏が上手く表情を誤魔化してくれているだろう。そう思って。
「……まぁ、突然の話で混乱するのも無理ないか」
小さくため息を落とし、気を取り直すように瀬戸口は壬生屋に笑いかけた。
「なら、こうしよう。一晩、じっくり、心の整理なり準備なりしておいて。明日の朝、登校デートから始めよう」
「ですから、その話は今お断りしたでしょう」
「家まで迎えに行くから」
「いい加減にして下さい」
「あー、家までってのは恥ずかしいか」
「そういう問題ではなくてっ」
「そうだなぁ。じゃあ、お前ん家から二筋目辺りで待ってるよ」
「ひとの話を聞いて――いいえ、聞かないというのなら、それでも結構です。これ以上、何と言われようと、私も何も聞かないことにしますから。ええ、あとは何でもあなたのお好きにどうぞ。私はもう何も知りません!」
そう言い捨て、壬生屋は猛然と踵を返した。
それが、思い出したくもない、なかったことにしたい、昨日の顛末だった。