『Trick or treat!』  (サホ)

小隊のハロウィンイベントを終えたその帰り、さりげなく提案をしてみた。
まだそれほど遅い時間でもないし、今日の土産の南瓜菓子を一緒に食べないか、と。

土産に渡されたその量は、男の一人で食べ切れるものではない。
それを知っている彼女は呆気ないほどすんなり了承したのだった。
いや、そればかりか、躊躇う素振りひとつ見せず、いそいそと勝手知ったる小さな台所に立つ壬生屋。
流れるような手際さで茶の用意に勤しむ今の彼女は、しかし、武芸の達人とは思えぬほど隙だらけの背中で。

これって、俺の前だからだよな。

そんな特権のひとつに自然と笑みも零れるというもの。
そんな自分を抑えつつ、気取られないようにそっと距離を詰めると、急須に茶葉を入れようとする彼女の細い手首を背後から封じて。
そして、そのまま、己の腕の中にすっぽり彼女を仕舞い込む。

「あ、あの、放して下さらないとお茶の用意が……」
「いいさ、茶なんて」
「でも、お菓子をいただくのでしょう? だったら」
「ああ。だから、こうしてる」
「は?」
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、ってな。だから」
「もう、何をふざけていらっしゃるんです?」

顔を赤らめながら抗議の声を上げる壬生屋。

「これでは準備出来ないではありませんか。あなたはそこでおとなしく座って待っていて下さい」
「イヤだね」
「嫌って、もう…」
「――あの時、俺にくれなかっただろう?」
「あの時?」

首を傾げる様子からして、まったく思い当たらないのだろう。

「……パンプキンパイ。なんで若宮なんかに喰わせるんだ?」
「パイなら、あなたもちゃんと召し上がって……」
「けど、あいつに先やってただろ。見てたんだ、俺」
「え? 私、あなたには一番にお出ししま――ああ、味見していただいた時のこと…?」

言いかけて、こちらの言わんとすることを察したらしい。

「それなら、たまたま近くに若宮くんがいらしたからで……それにその、ほら、若宮くんなら、余程のものでない限り、少々の失敗作でも大丈夫そうですし」
「何喰っても平気なヤツに味見なんて頼んだりするなよ。大体、壬生屋の作るものなら、わざわざ誰かに味見させなくても美味いに決まってるだろ」
「――あの、ひょっとして、怒っていらっしゃるのですか?」

そんなことで、とでも言いたげな彼女に、さすがに、むくれずにはいられなかった。

「怒っちゃいないさ。ただ、不満なだけで」
「もう仕様のない人…」

呆れたように息をつき、壬生屋は軽く笑った。

「わかりました。次からはそれもあなたにお願いしますから。あ、では、早速、そのお役目を果たして下さいませんか? 実はあなたにだけ、他の人にはないお土産があって」
「俺だけ?」
「ええ。南瓜餡の蒸し饅頭を作ってみたんです。和菓子もお好きでしょう? でも、ちゃんと味の確認までする時間がなくて、やっぱり、このまま持って帰ろうかと思ったのですけど」

そんな壬生屋らしい心遣いに頬を緩めずにはいられなかった。

「じゃあ、それも二人で一緒に食べよう」
「はい。でしたら、そろそろ、本当に放していただかないと」
「ああ。それは後のお楽しみに取っとくからさ」
「はい?」
「パイの仕返しをしたかったんだが、こうしておまえを抱きしめてると、やっぱり、こっちのお菓子を先に喰いたいなぁ、と」

言いながら、壬生屋の耳に触れるか触れないかの際どいところに唇を寄せた。

「こ、こっちのお菓子って、わっ、私のことで…!?」
「饅頭も美味そうだが、俺にとって、この世で究極のはおまえだし」
「や…っ、も、もう、何仰るんですか! だめです、ち、ちょっと、あ…っ」

必死の抵抗を見せる壬生屋だったが、こう後ろから羽交い絞めにされていては上手くかわせないらしい。
未だに手にしたままの茶筒を取り上げ、それを棚に戻すと、素早く彼女の胴着の合わせ目辺りに手を忍ばせた。

「暴れるなって。言っただろう? お菓子をくれなきゃ悪戯するぞって」
「い、悪戯なら、今なさってるじゃないですかっ」
「こんなのはいつものことだろ。そうじゃなくて、もっとこう、例えば……」

適当に思いついた、あんなコトやこんなコトのいくつかを挙げてみる。

「な…っ!? な、なな、なんて破廉恥な…っ!」
「な? だから、ここは大人しく俺にお菓子を食べさせてくれって」
「――い、いいえっ! そんな手には乗りませんよ! 大体、ハロウィンでお菓子がもらえなくて悪戯するのは子供のことでしょう?」
「俺も子供だし」

嘘は言ってない。
実際、未だに子供呼ばわりしてくる心当たりも、確実にひとつはあるのだから。

「ま、またそんなことを仰って…っ」

不自然なトーンで響く抗議の声。
それが嬉しくて、この手がもっと冒険に出たがるのが、どうして彼女にはわからないのだろう。

「や…っ、だっ、大体、あなたが子供なら、私は幼女でしょう!」
「幼女――」

思わぬ単語に一瞬、冒険の手も止め、壬生屋の顔を覗き込んだ。

「ええ。ですから、私にお菓子をねだっても意味がありませんよ」

勝ち誇ったような口調で壬生屋はそう言った。
これでうまく丸め込めたと思っているらしいが、そんな壬生屋の期待は裏切るしかない。

「幼女、なぁ……なんというか、ある意味、余計にぐっとくるかもな」
「あっ、あ、あ、あなたという人は…っ!」

耳まで朱に染め、いよいよ本格的に壬生屋は腕の中で激しくもがき出した。

「不潔です! 不潔すぎますっ! 今すぐ私を放して、そこにお直りなさいっ! あれは単なる好き勝手な噂ではなかったのですね! あなたがそんな方だったとは見損ないましたっ」
「うそうそ、冗談だって」

今にも泣き出しそうな壬生屋の声に、さすがに冗談が過ぎたかと慌てて取り繕う。

「なぁ、怒るなよ、俺が本当にロリコン趣味なわけないだろう? 俺がそそられるのはオトナなおまえだけだって。信じられない?」
「そ、それは……でもっ」

あやすように彼女の目尻へとくちづけて。

「壬生屋もそうだろう? オトナだから俺とこんなこと出来るんじゃないのか?」

柔らかな稜線を微妙な加減で撫でてみる。
幾らか乱れ、熱を帯びて洩れる吐息は、怒りばかりが原因ではないはずで。

「そっ、それはあなたが勝手にしてることでしょう?」
「それを言われると身も蓋もないけど、これは紛れもなくオトナの反応だろ?」

そこに指を這わせるまでもなく、彼女が甘く蕩けているのは間違いない。

「い、意地悪なこと言わないで……誰のせいでこんな……」

身を捩ろうと懸命の壬生屋に、殊更低い声でささやいた。

「俺のせい? そうだよな。けどさ、俺、意地悪なこと言ったつもりはないんだよなぁ。壬生屋を前にして何もしない方が意地悪な気もするし。そうは思わないか?」
「な…っ!」
「けど、うん、意地悪したいと思うのは壬生屋だけなんだよな。壬生屋だから、意地悪出来るのが嬉しくてどうしようもない」
「な、なにを…っ」
「俺のせいだけどさ、俺のためにかな、って気にもなれるんだ。こんなに俺のこと想っててくれてるのかなぁってさ」

我ながら馬鹿みたいだとは思う。
それでも、確かにそれを実感したくて仕方ないのだ。いつでも。何度でも。

「あー、でも……」

身体に力が入らないのか、前にのめりそうになる壬生屋の腰をしっかり抱き直すと、今度はこちらに身を預けるようにもたれかかってきた。
そんな壬生屋の細い肩に顎を乗せるようにして呟いた。

「相手が壬生屋なら、まだまだ幼女だったとしても堪らないんだろうなぁ」
「な、ななな…っ」
「年なんかに関係なく、俺は壬生屋に虜にされてるってこと」

魅了されてやまない豊かな黒髪の香りを吸い込みつつ、告白する。

「不埒だって怒るか? でも、壬生屋は――未央は、この世で一番甘いから」
「や、やめて下さい。甘いとか、美味しいだなんて不潔です…っ」
「でも、嘘じゃない。未央の全部が俺には甘くて堪らないんだ。おまえの甘さが俺の全部を惑わせる」
「うそ……嘘です、だって、それはあなたのことでしょう? いつもこうやって、私をおかしくさせて……っ」
「……嫌?」

訊ねる声は自分でも情けなくなるほど自信に欠けたもの。

「本当に嫌なら、何もしない。俺はこの腕に未央を抱きしめられるだけでも満足なんだ。いや、触れられなくてもいい。俺に笑いかけてくれさえすれば、それだけでも十分なのかもしれない」

子供を抱けるほど、鬼畜な趣向は持ち合わせてないし。
子供には有り得ない彼女の柔らかなこの身体に、すっかり参っているわけで。

けれども、それだけが理由ではない。

「――それは嫌です……」

蚊の泣くような声で彼女は言った。

「それだけでは、きっと、私が満足出来ないから……」

そして、俺の腕にそっと手を重ねる。

「……ただ、私は、あなたの前では、いつも一番綺麗で可愛い自分でいたいんです」
「何言ってるんだか。どんな時でも、誰より綺麗で可愛いのに」

生真面目でいて純真な彼女らしい言葉に、愛おしさは増すばかりだった。

「……けど、その、簡単に快楽に流されるだけの、はしたない女にはなりたくなくて……」

そう洩らして恥ずかしげに俯く。

「そう言われると複雑だな。俺はすぐ色欲に走るがっついた野郎みたいでさ」
「それは、少し、そう思わないでもないですけど……」
「えっ」

思わぬ返答に内心狼狽えずにはいられなかった。
日頃、何だかんだと小言は喰らうが、それとは大きく違う。
彼女のことだ。本気で嫌忌され、そのまま見限られてしまうような状況にも陥り兼ねず。

そんなこと、今更、受け入れられるはずがない。

これだけ長い夜の果てに、ようやくつかんだのだ。
もしも、壬生屋がまだ幼い少女だったとしても。
たとえ、また同じだけの夜明けを数えることになるとしても。
すぐそばで、いつでも抱きしめられるところにいてくれさえするのなら、気長に待っていられるだろう。

だが、彼女のいない日々など、もう一日――いや、一瞬たりとて過ごしたくはないし、過ごせるとも思えない。

「でも、でも、それって、私にだけ、ですよね? 私を想っていて下さってから、ですよね? 今のお話だと、その、私の身体だけが目的、だなんてことではないということですよね?」
「決まってるだろ」

腕の力を緩め、ようやく彼女と正面から向き合う。
男ならではの下心を隠す気はさらさらないが、かといって、それだけだと誤解されては立つ瀬がない。

「――では、安心なさって?」
「え?」
「ふふ。本当に子供みたい……」

俺の頬に触れ、彼女は柔らかく微笑んだ。

「どうか、そんな顔はなさらないで?」

それほど心許ない顔をして見えているのだろうか。して、いるのだろう。きっと。

そのまっすぐな青い瞳に捕らえられたくて。
彼女を覗き込む姿は、まるで縋り付くような様で。

それでも。
それでも、いいと思った。
どんなに無様な姿を晒そうとも。
また失うことに比べたら、ずっともっと。

「私にも、あなたを動揺させることが出来るのですね。動揺するのも、不安になるのも、いつも私の方だけかと思ってましたけど……」
「壬生屋…?」
「何だか可笑しいですね。自分の中の不安で手一杯になるなんて、やはり、私たち、まだまだ子供ということなのでしょうか」

そこで不意に壬生屋が切り出した。

「――もう、さっきみたいには呼んで下さらないのですか?」
「え?」
「名前」
「名前?」
「未央、と…。ずっと、あなたに、そう呼ばれてみたかったんです…」
「そうなのか?」
「……ええ」
「それならそうと言ってくれれば良かったのに」
「そうかもしれませんけど、何となく……」

そう言ってはにかむ彼女に、心がふわりと解けてゆく。

「言われて嬉しいお願いなのにな。けど、そうだよなぁ、あんなに幼女だって言い張る割に、肝心なことはまだ言ってくれないし」
「え?」
「Trick or treat! って、俺も未央に言われてみたいんだけど」

華奢な身体を抱き寄せながら、からかうように笑って見せる。

「ねだられるのはお菓子じゃなくてもいいし、未央からの悪戯なら俺は大歓迎なのに」
「まぁ」

一瞬の呆れ顔も、すぐにまた咲きほころんで。

「私たち、二人で一緒に大人になってゆけたらいいですね」
「いっぱいお菓子ねだったり、いっぱい悪戯しながらな」
「何ですって」

鈴のような笑い声に、柔らかくくすぐられるようで。

そんな、すべてが甘い魔法にかかるハロウィンの夜。