『spell』  (サホ)

こうして少しずつ少しずつ。
形を変え、知るところ一切が失われていくのだろうか。

 

「あれは一体何なのです?」

視線は目前に据えたまま、ようやく通りかかった彼にそう問いを投げかけた。

「何って何が?」
「1番機胸部の落書きのことです」
「落書きって……ノーズアートってのは無理でも、せめてペイントくらいには言ってくれないもんかね」
「どうであろうと公的な理由あってのものではないのでしょう?」

てっきり新たな認証コードのようなものかと思いきや。
聞けば単なる個人的意向による塗装だというではないか。

変更されたスペックと、それを乗りこなせるという事実。
それに比べたら、これは実に取るに足らない些細なこと。

けれども、だからこそ、こんなにも引っかかるのだ。

 

配置換え。

 

その現実だけでも耐え難いのに。
自分の手から離れてゆく証をまざまざと思い知らされているようで。

「確かに私的には違いないけどさ」
「ですから。その了見を伺っているのです」
「んー、その、なんだ。ちょっとした俺のモットー…いや意思表示みたいなもんかな」
「あれが?」
「忘れないように胸に刻んでおこうかと思って」

まさしく、その言葉どおりに、ということか。
妙に納得しつつ、向かって右胸部に再び目を凝らす。

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そう読めなくもない、ぐるりと紋様で取り囲まれた中にやたら凝った六つの飾り文字。
意思表示というはいうものの、正直、さっぱり意味のわからない謎の羅列に過ぎず。

何かの略語だろうか。
と、考えて、弾かれたように彼を見た。

「不潔です!」
「はぁ?」

自分には理解不能な――
つまり“恋の伝道師”には、それは深い深い意味のある隠語に違いなく。

「なんてことを! よくも私の1番機に――」
「私の?」

揶揄するような笑みを向けられ、息を詰まらせた。

「そっ、それは…いえ、その、誰が乗っていようと破廉恥にも程があるでしょう!? そんないかがわしい言葉で飾るなんて」
「待ってくれ。一体、どんな言葉だと思ってんだ?」
「わたしにわかるはずなどないでしょう! いいえ、どんなに不埒なことかなど考えたくもありません!」
「おいおい。何を想像したのか知らないが、むしろ、お嬢さんの可愛らしいその頭の中にこそ、イケない言葉がたっぷり詰まってるんじゃないのか」
「ちが…っ」
「心配するなって。やましいところは……いや、まったくないとも言えないか。けど、禁句とかではないって誓えるから」
「はぁ…」
「そう難しい顔するなって。お嬢さんを悩ますような細工はしないからさ」

やましくないとも言い切れないのに?

どうにも釈然としない。
が、これ以上、問い詰める権利も今の自分は持ち合わせていない。

目の前にあるのは、彼の専用機。
今はもう自分のものではなくなった、かつての専用機。

その現実を振り払う――というより向き合うべく1番機へと目を遣る。

「それにしても結構重装甲ですよね」
「そりゃ防御は最優先にしておかないと。俺なんて狙われたら目も当てられないだろう?」
「……その割に反応は随分と機敏だと思うのですが」
「いざという時に逃げられなきゃ困るしなぁ」

飄々と笑ってはいるけれど。
この装備で、あの動き。
それが凡人にはまず不可能だとは無自覚なのだろうか。
自分でさえ、これほどの重量の機体をああも軽やかに操れる自信など持てないというのに。

ああ、今のこの状況何もかもに滅入るばかり。
これならオペレーターではなく、いっそ整備班に回されれば良かった。

そうすれば、この手で1番機を慈しめたのに。
そうすれば、クラスも変更になって彼との距離を置けたのに。

 

 

それはあまりに唐突だった。
階下で整備中の1番機を遠目に眺めていたときのこと。

「――え?」

正面からでは何も思わなかった。
横たえられた状態ではじめて気付いた。

もしかして。
もしかして、あれは――

そんなことがあるのだろうか。
謎の文字列だったはずなのに。
それが、とてもとても馴染みあるものとなっているなんて。

矯めつ眇めつ見返して不意に思い出した。

あの塗装の理由を主任に尋ねたとき。
欲しかった明快な返答は得られず、ただ「いいわね」と微笑み混じりの一言で締めくくられたことを。

あれは自分に対する一種の事後承諾のようなものだと思っていた。

けれども、もしかして。
そんな思い上がりを諌めるように、はっとする。

まさか呪詛?

――さすがに、それはないはず。

青褪めながらも駆けめぐる疑念に首を振った。
同じ隊で共に命を懸け戦う仲間には違いなく、そこまでの不信を抱く理由も必要も互いにないと思いたい。

いつもいつも。
どうして、こうも簡単に振り回されてしまうのだろう。

これをどう考えればいいのか。
いや、どう考えてもいけない。
そもそも、所詮はただの塗装。それにどれほどの意味があるというのか。

仮にあるとすれば。
これは暫定的なもの。
そんな彼なりの気遣いかもしれない。
きっと、その程度のこと。自分への感情はどうあれ。
それがたとえ、左胸部に、だとしても。

少なくとも、大事にはされている。
姿形は変われども、自分が乗っていた時よりずっと今の1番機は丁寧に扱われている。
心動かされるべき理由があるとするなら、それだけでいい。それ以上、深く考えてはいけない。

なのに、想いはそこから離れられない。
まるで魔法にでもかけられたかのように。
そうして、 天地逆さに印された自分の名に読める文字を、ただただ見つめた。