「地獄に堕ちろ、芝村め!」
中村の怒号が深夜の男子寮に響き渡ると、
「うるさい、近所迷惑だ」
と瀬戸口が、持っているビール缶を投げつけかねない勢いで中村を制した。
不機嫌そうに瀬戸口を睨みつけた中村だが、まぁまぁと滝川になだめられ、座り込んで焼酎をぐい飲みして機嫌を直す。
(やれやれ、みんな酔ってきたな)
茜は少年だが、体質なのか性格なのか酒量を重ねても一向に酔うことがない。
なぜ、宴会をしているかと言うと、理由がある。
芝村準竜師から近日中に「芝村」が転校生としてやって来る、ということが発表されたからだ。
それで急遽、男子寮の滝川の部屋で、非公式に緊急会議となった。
「なんで俺の部屋なんだよ」
そう訴えたところで滝川の意見など誰も聞くわけがない。
酒の肴と酒そのものを持って、ずかずかと一同は上がり込んだ。そして、てんやわんや百家争鳴の議論を始めたのだった。
議題は「芝村を認めるか否か」である。
(意外にこいつは弱かった)
茜の背後には、茜が撃沈させた男が一人寝入っている。時折、電波音のような意味不明な寝言を上げ、人間とは思えないねじれた関節の寝相を見せつける。
岩田だった。
首が180度近く回っているのに気が付いているのは茜だけなのか。それともみんな気付いていてわざと気付かない振りをしているのか。
「わたしは、別に芝村についてどうとも思いません。向こうはどうか知りませんが」
などと言って、笑いながら沈んでいった。
(恐らく、こいつは芝村が来ることに反対ではあるまい)
そう茜は当たりをつけている。
岩田に「芝村」と目立った利害関係があるとも思えない。
同様に、この場には来ていないが、来栖も若宮も、恐らく反対ではあるまい。
問題は、目の前のこいつら、中村、瀬戸口、滝川、そして速水だ。一人一人は大したことはないが、へたに芝村反対で統一されると厄介だ。
なぜ、そんなことを茜が気にしているのかと言うと理由がある。
――密命を受けていた。
準竜師が突然の転校生の発表を行った後、茜は善行に呼ばれて司令室に行った。すでに茜は抜擢され、参謀を務めていた。
「芝村が転校する際、トラブルが、そうあの「芝村」ですから、必ず発生すると思います。茜君は、トラブルがどの人物からいかなる形で発生するか注意していて下さい」
言いながら、善行はしきりに頭を掻いていた。眉根にはシワも寄っていた。「芝村」の転校という珍事は、善行にとっても唐突で手に余るもののようだった。
しかし、そういった顛末で、茜はこのような飲み会を主催する羽目になったというわけである。
茜は酔わない目で、ぐるりと皆を見渡した。
(恐らくこの4人を抑えれば芝村を巡ってのトラブルは起こらない)
茜はそう思っていた。火元を絶ってしまえば火事に発展するわけがない、そう確信していた。
「まぁ物好きにも最前線に来るってんだからどうしようもないだろう。なるべく早い内に飽きてもらって、退散願うしかないな」
そう言うのは瀬戸口である。4人のなかでは最も大人で、放火を自分からするほど頭も悪くない。風上から風を送って延焼を助けようとはするだろうが、瀬戸口自身が直接、火を付けることはない。
ならば、瀬戸口を無害化させるのはそれほど難しくない、と茜は考える。火元さえしっかり押さえていれば、瀬戸口は抑えられる。
「そうは言うばってん、相手は芝村たい。妙なことば言い出して、小隊から被害が出たあとじゃあ遅かよ」
中村が、厄介だった。中村の芝村嫌いは生理的なもので、理屈ではない。理屈に基づかないから話が通じない。また、不満がたまれば何をしでかすか分からない。
中村は損得は考えない、相打ち覚悟で火の玉のように突っ込んでいく。
しかし、と茜は考える。充分に注意して、その場その場でガス抜きをして引火しないようにしてやれば、やはり中村も無害化できる。
「なるほどなぁ。だけどだよ、俺が思うにはな…」
滝川は、考慮しなくていい。仮に滝川自身の意見があったとしても、他の人間に左右されるところが大きすぎるし、滝川の意見が他人に影響することが余りない、というか全くない。だから、滝川も大丈夫だ。
しかし、速水――。
(こいつだけは)
何を考えているのか、茜にもさっぱり分からない。
一方で、なぜか速水の意見は、みんなから一目置かれている。滝川とは違う、捨てて置くわけにはいかない。
茜は手酌で焼酎を注ぎつつ、他の雑音は無視して、注意を速水の言動だけに向けていた。
(気になる、速水は何を考えている)
だが、速水は、ニコニコ笑っているばかりで、ほとんど発言しなかった。穏やかな顔で聞き役に徹していたのだった。
やがて夜も更け、皆が議論に疲れ果て、
(そろそろ、お開きかな)
と、茜が思ったころ――、
やっと速水が口を開いた。
疲れを見せず、いつもの口調で、まるで天気の話でも始めるように。
「あのさぁ、僕、思うんだけど…」
中村が杯を持ったまま固まった。
瀬戸口もビール缶を置いた。滝川も速水の方を見た。
その場にいる誰もが、次の速水の発言を待った。
そして、口を開いた速水の言葉を聞いて、一様に凍り付いてしまった。
「殺しちゃえばいいんじゃないかな? 誰にも気付かれないように」
これには、茜も驚いた。
――速水は、部隊内粛正をしろと言うのである。
規律を乱す異分子、味方を危険に落とす危険性がある者は、あらゆる手段を講じて排除しなければならない。そうしなければ個の逸脱により全体が危険にさらされてしまう、軍隊の鉄則である。そもそも、軍隊とはそういう性質の集団であり、無駄なものを全て削ぎ落として、完全なまでに機能的になって初めて完成する。
――芝村が危険なら、抹殺も躊躇せず。
速水の意見は一理あった。茜も考えないわけではなかった。
しかし、と茜は思う。
(今はまだ、そんな危険な考えで意見を統一してもらっては困るんだよ)
嫌々ながらも、「芝村」が来るのは認めてもらわなければならない、客人として丁重に扱い、タイミングを計って送り返す、これが今日の落とし所であるべきなのだ。
(やはり速水は、――火種だったか)
火種ならば、早めに消しておかなければならない。
中村に引火して、瀬戸口に煽られたのでは大火事になってしまう。
手遅れになる前に、
(悪いな。いまここで潰させてもらう)
茜は心のなかでライフルを構え、引き金を絞った。狙うは勿論、速水だった。茜にとって速水は、待ちに待ってやっと出てきた獲物のようなものだった。
グッと身を乗り出す茜。
照準を合わせるように速水を軽く睨めつけて、そして一撃必殺とばかり口に出したその言葉は――
今度は、視線が茜に集中する番だった。誰もがギョッとした顔で茜を見た。
――茜が口に出した言葉。それは、
「その手もあるな」
であった。つまり、速水に同調した。
茜は熟知している。
何を考えているのか分からないものの、日頃の付き合いで、速水の行動指針を嫌というほど熟知している。
(この男は、臆病で用心深く、目立つことを避ける)
すなわち速水であれば、このような密議の、しかも暗殺の首謀者に祭り上げられるかもしれない状況は、最も嫌うはずだった。
速水が馬鹿でなければ、にっちもさっちもいかなくなる前に自分から退く。
(それでいい)
退けば、速水の発言力は低下する。そして、まわりの影響力も低下する。
速水が「芝村」反対で火を付けることは、もはや出来なくなる。速水は火種ではなくなるのだ。
(さぁ退け、速水)
茜は自分の杯を凝視した。杯に並々と注がれた焼酎に、速水の顔がゆらゆらと揺れた。やがて、おぼろげに表情が見えてきた。
しかし、のほほんとした速水の顔は相変わらずだった。
速水は平然と言う。
「茜も同意してくれるの? だったら、なるべく早いほうがいいと僕は思うな」
(こいつ)
速水は退かなかった。
しかも、茜が全く持って行きたくない最悪の方向に、話題を持って行こうとしていた。
(これは、いけない)
周りはもはや思考が働いていない。誰も反論できない。
――冷静で狡猾な瀬戸口ですら
興味深げに速水の言葉を聞いている。
(まずい)
茜は動揺した。このままでは、芝村の暗殺計画に話題が急展開を始めてしまう。茜が同調したのが裏目に出てしまった。
(ひょっとして待っていたのか、この瞬間を)
意見を出し尽くし、皆が疲労の極致に達し、茜ですら油断して場を統制する力を失った瞬間を――。
一滴の汗が茜の頬を伝う。
まるっきり計算外だった。
いままで押さえていた堤防が音を立てて崩れ始めるのを茜は感じていた。
まず、急先鋒の中村が発言した。
「確実に、実行するためには、どぎゃんしたらよかかね?」
しばらくの沈黙。茜の天才的な思考をもってしても、堤防に空いてしまった穴を埋める妙策が思いつかない。――崩れていく。引火する。今度は瀬戸口だった。
「まず、小隊のなかでどの程度賛同が得られるかどうかを探らないとな。水も漏らさぬ計画を立て確実に実行するためには、女性たちの協力が欠かせない」
その後しばらくして、そうだな俺もそう思っていたんだ、と取って付けたように滝川が応じた。
その一部始終を歯がみする思いで茜は眺めるしかなかった。
(完全にしてやられた)
押し寄せる洪水と大火事が見えるような気がして、茜は気が遠くなりそうになった。しかし、精神力と責任感で踏みとどまり、恨めしそうに速水を睨んだ。
(こいつは)
待っていたのだ。
(僕が突出してくるのを待っていたのだ。うまく嵌めてやったつもりだったが、嵌められたのはこっちの方だった)
杯を見た。杯に揺れる速水の顔が――笑っていた。
(僕はこいつの手の平の上で踊らされていたんだ)
どうする、と茜は自問自答した。このままでは、暗殺計画が具体化していくばかりか、茜自身がその片棒を担ぐ形になっていってしまう。
どうする?
しかし、どうしようもない。
そのとき――
やや意外そうな顔をして、速水が言った。
「瀬戸口、中村、いったい何の話をしているの? 訳がわからないよ」
そう言われて、二人とも呆気にとられた顔をした。彼らには、速水の言うことの方がわからない。
速水は二人を尻目にして、手近にあったノートを取り上げた。それを素早く丸めると、壁を激しく撃った。
撃った後の壁には、そこを這っていたと思われる黒い虫が、潰れて張り付いていた。速水が暢気そうに言う。
「殺したよ、ゴキブリ」
あーっ俺のノート、と滝川の声がしたが、茜には聞こえない。
(くそっ! どこまでもこの男は…)
つまり、速水とはそういう男だった。