『速水という男』 2  (ぬりかべ)

「地獄に堕ちろ、芝村め!」
 中村の怒号が深夜の男子寮に響き渡ると、
「今回ばかりは俺も中村と同感だ」
瀬戸口が持っているビール缶を握りつぶしながら中村に同調した。
そうだそうだと顔を真っ赤にして大騒ぎするのは滝川。一方、速水は粛々と缶チューハイを飲んでいる。
(やれやれ、今日はみんな悪酔いしそうだな)
茜は少年だが、酒を飲んだことが義姉にばれたため仕方なくスルメを噛んでいた。

なぜ今日も酒宴を開いているかと言うと、理由がある。
ついに、「芝村」が5121小隊にやってきたのだ。

芝村は、小隊全員が整列する校庭に、司令の善行に連れられてやって来た。
茜は意外に思った。
(女か)
そう、芝村は強面の男などではなかった。
しゃんと背筋が伸び、気が強そうに見える以外は、至って普通の女の子に見えた。
しかし、司令の善行から自己紹介するよう促された「芝村」が、凛として壇上に立ち、よくとおる澄んだ大声で語り始めたとき、やはりそうではないことを嫌と言うほど思い知らされた。芝村舞というその女は、自己紹介にかこつけて政治的演説をやり始めたのだった。
――これが、内容はともかく、すこぶる長い。
(いつ終わるんだ)
ののみなど失神寸前でふらふらになってしまい、善行がやむなく中断させる事態となった。止めさせなければ、芝村の演説はどこまで続いたか分からない――。

そして、再び滝川の部屋で集合することになった。どうにも腹の虫が治まらない気持ちはみな一緒である。飲む酒はヤケ酒しかないという状態だった。まず、瀬戸口から口火を切った。
「まるで自分が指揮官のような言いぐさをしていた」
瀬戸口がビールを一気にあおり、空にするとまた音をたてて握りつぶした。何者にも縛られたくない瀬戸口は、高圧的な芝村の態度そのものに反発を感じている。
(芝村は総じてみんなそうなんだが)
茜は思ったが口には出さなかった。確かに今日の演説はひどかった。怒るのも無理はない、と茜も思っていた。
「あいつは俺たちに死ねと言うたばってんが、何で芝村のために死なんといかんたい?」
中村がこれでもかと毒を吐いた。すでに出来上がっており、おかんむりの状態である。
(おいおい、死ねとは言ってない)
心のなかで茜は中村に突っ込んだ。芝村は民間人の盾となれ、と言ったのだ。しかし、芝村憎しで見境がなくなっている中村には、芝村のために死ねと聞こえても不思議はない。
茜はスルメを噛み終わり、またもう一つスルメを口に入れた。あえて中村に言うべきことは、――何もなかった。
「おれ思うんだけど、あいつ何か目的があってうちの小隊に来たんだ。秘密兵器の実験とか、特殊任務の遂行とか、目的は分からないけどさ。俺たちの命を捨て石のように使うことを企んでるに違いないと思う」
茜は口からスルメの足を生やしたまま、滝川の方を一瞥した。
(そこまでいくと、根拠のない妄想とか悪質な捏造の類だぞ、滝川)
茜からの強い視線を感じて、滝川は気圧されたように黙り込む。
(そう、滝川。お前はそれでいい)
出番でもないのに舞台に上がり込もうとした大根役者を蹴落とした後、茜はふと速水の方を見た。速水は壁に体を預けたまま、ほろ酔い加減で缶酎ハイを揺らして遊んでいる。
――いつものごとく、何を考えているのかさっぱり分からなかった。
(速水がどんな台本を手に舞台に上がろうと考えているのか、時間をかけて確認したいところだが…)
しかし茜はピシャリと両手を打ってから言った。
「明日も早い。みんな、そろそろお開きにするとしよう」

翌日、司令室に茜が出頭すると、善行が待ちかねた様子だった。
「皆さんは、どのような状態だったでしょうか?」
やや考えてから、茜が返答した。
「態度を明確にしていない者もいますが、総じてあまり長く持たないといった印象です。一言で言うと、爆発寸前です。芝村を溶け込ませるにしろ、潰すにしろ、方針は早めに決定した方がいいと思います」
茜の報告を聞いて、そうですか、と善行が腕を組んだ。腕を組んだ後、茜に向かって言った。
困ったものですね、と。善行の表情には余裕がある。このようなとき、すでに善行の思考が整っていることを茜は知っている。
「複座型の3号機に芝村が搭乗する、ということまでは決定でよろしかったですね?」
茜は善行に確認してみた。
「ええ、竜師からの指示もありますしね。それに、芝村さんの模擬訓練結果も届いています。私は妥当だと確認しました。茜君も目を通して見て下さい」
茜の前にレポートの束が置かれた。芝村が小隊に必要な人材かどうか、複座型の3号機に搭乗する資格があるかどうか、それを見て茜自身で判断してみろということである。言われるまま、茜はレポートをめくって見た。
「これは…!」
「にわかに信じがたいほどの成績でしょう? さすがは芝村と言ったところですか」
信じがたいどころか、人間とは思えないほどの成績である。
「これでいけば…、芝村は3号機の砲手ということになりますね?」
レポートの資料から、忠実に芝村の能力を把握するとそういうことになる。
「ええ、そう考えています。後の問題は…」
「もう一人の、操縦者ですね?」
茜の相槌に善行が深くうなずいた。
「この場合、能力の面は不問に付すことになるでしょう。当然、高ければそれに越したことはありませんが。それよりも砲手を務めることになる芝村と小隊各員の融和を図れる人物が望ましい。それが芝村さんの能力を引き出すことにも繋がるでしょう」
今度は茜の方が深くうなずいた。
「そこで、茜君は誰が適任だと思いますか?」
そらきた、と茜は思った。
それこそが、これから先、芝村を中心として小隊が振り回されることになる難事となる。茜としては、迂闊な名前は口に出せない。そして、――そのような難事を善行自らが考えていないはずがない、と茜は思った。
「司令は…もう決めてあるのではないですか? 人が悪い」
善行はいたずらっぽく笑いながら、四つ折りされた紙片を茜に差し出した。多分、そこに善行の考える候補者が書き込んである。誰の名が書いてあるのだろう、いや、それよりもどのような基準で選んでいるのか――。紙片を受け取りながら、茜は自分の思うところを述べた。
「本来なら滝川。サブであり、戦車兵として訓練を積んできた彼を当てるべきでしょう。しかし、ご存知のとおり滝川の腕では困難です。芝村と小隊各員の融和を促進することも、滝川には手に余る作業でしょう。そもそも、小隊各員との融和を図ると言っても、男にも女にも両方顔がきくとなると適任はそう多くはいませんから」
善行の眼鏡が光に映えた。
「――しかし、全くいないわけではありませんね」
「そうです。だけど、せいぜい小隊内に一人か二人。この紙片に書いてあるのは、その一人でしょう」
「茜君には、誰か分かりますか?」
茜は紙片を二本の指で挟みながら考える。
「女ではないですね、男でしょう。恐らく、女心を良く理解できる者。少なくとも、理解できていると思いこんでいる者。いや、それどころか人間の心全てを理解できていると思っている者――」
「いい線です」
満足そうにうなずく善行。茜にも紙片の中身が察しがついてきた。
茜は紙片をゆっくり開き始める。開きながら、善行にひとつ懸念を表明した。ひとつ問題があります、と。
「きっと、その者は、芝村の橋渡しという気の遠くなる面倒くさい任務も、三号機操縦者という戦死率の高い危険な任務も、易々とは引き受けないことでしょう」
「…そうですね。茜君の言うとおり、それが最大の問題です。軍隊といえども我らは学兵、命令は絶対といえど徹底させることは難しい。指揮する側として、我々の切れるカードは限られています。茜君には妙案はありませんか?」
少し考えてから、素気なく茜は答えた。
――残念ながらありません、と。
「本来、能力のある者には、しかるべき権力か報酬を与えるべきなのでしょうが、この戦時下でそのような待遇は望むべくもありませんので」
渋い顔でそうですねぇと言って両手を投げ出す素振りを見せる善行――
その姿を確認して、微笑を浮かべながら茜は紙片を開いた。そこに書かれてあったのは――
おや、と茜は首を捻った。
(こっちの方だったか)
そこには、善行の字で「瀬戸口隆之」の名が記されていた。