善行によって複座型3号機の搭乗者が発表された一週間後――、
さっそく熊本市街に幻獣が発生した。5121小隊の出撃である。
訓練もままならぬ状態でありながら、この日、速水と芝村は幻獣6体を撃破した。
「これは、いけます」
善行の眼鏡が輝いた。
――以後も、速水厚志と芝村舞の快進撃は続く。
10日後には、7体を撃破。
その5日後の今日は、なんと13体を撃破した。信じられぬほどの凄まじい戦果である。
「すごい、すごい、すごいよ」
毛布を抱えた新井木が子供のようにはしゃぎ、森と田辺が原の作った温かい飲み物と消化に良い軽食を配って歩く。
疲れを癒す兵士達。しかし、その横で、氷のように冷静に見つめる目があった。――茜である。
(おかしい)
茜は思っている。
いくら芝村がいようとも3号機は複座型である。大した訓練も積んでいない状態でこのような戦果を挙げられるものではない、なにかある。
そのとき、茜の背後から話しかけてきた者がいる。
正確に言うと、話しかけたわけではなく一人言のように呟いただけだったのだが――、岩田だった。
「速水君はぁ。フフ…。ちょっと、ずるいかもしれませんねぇ」
「どういうことだ? 何か知っているのか」
「いえぇ、何も知りませんとも。茜君と同じです、はい。怪しいと思ってるだけですよ」
そう言い終わると、千鳥足でハンガーの方に向かおうとする岩田。ふと思い出したように振り返った。
「フフフ。見たい物しか見ることができないのが人間です。見えすぎる人間というのもいるようですが、果たして人間なのでしょうか。わたしは違うと思うのですよ。フフ。しかし、茜君、これだけは一つ。フフフフフ。――人間は時として間違いますが、機械は常に正確です。参考になれば」
(何、言ってやがる)
岩田の言っていることは、いつもながら訳が分からない。知っていることがあってもストレートに表現をしようとはしないからだ。必ず翻訳がいる。
岩田は何が言いたかったのか。
(…機械)
(機械か――)
茜も岩田の後を追ってハンガーに向かった。調べてみる価値はありそうだった。
「別に何もないわよ」
やや怒り気味に義姉の森が答える。戦闘直後はいつもこうだ。修羅場なのである。今回は速水の3号機はともかく、滝川の2号機がパイロット自身の操作ミスにより大破に近い状態になっている。それで、てんやわんやの状態だった。
「馬鹿が柄でもないことをしようとするからこんなことになんのよ。上体あげて、オーライ! まず、こいつを応急しなきゃ。3号機の整備はまだずっと先。大介! 過去のやつでいいなら、電算が打ち出した報告書をそのまままとめてオペレーターに渡してあるから。それを見てみなさい!」
義姉の厳しい剣幕に、逃げるようにして茜はののみのところに向かった。
ののみは、重そうに資料を運んでいるところだった。
瀬戸口はそれなりに仕事をするのだが、片づけだけはしないので、ののみが全部やっているのだ、と言うことだった。茜が近づくと、ののみは溢れんばかりの笑顔を見せた。
「だいちゃーん。きぃたよ。あっちゃん、すごいよねぇ。げんじゅーじゅうさんたい」
ああそうだな、と茜は微笑んで言う。すさんだハンガーの雰囲気から比べると、ここは天国だ。
「まいちゃんもすごいねぇ」
再び、ああそうだなぁ、と茜は返しつつ、ののみはいいことを言うなぁ、と思った。少なくとも、この戦果により速水の評価だけではなく、芝村への評価も変わっていかざる得ないだろう。人格の好き嫌いはともかくとして、小隊にとって不可欠な人間になっていくに違いない――。
「ところで、ののみ。聞きたいことがあるんだが…」
「なぁに?」
「戦車の操縦者記録が分かる記録があるよな?」
茜の求めているそれは、人型戦車が稼働しているあいだの操縦者の身体的変化を記録している資料だった。戦車自体の物理的な稼働状況も参考に付されているため、戦闘状況を確認するにはうってつけの資料である。
うん、あるよ、まかせなさーい、とののみは資料を置き、トコトコと資料棚に近づいた。そして、到底届きそうもない高さのファイルを、精一杯小さい手を伸ばして取ろうとする。
「これか?」
茜が取ってやると、そうそう、とののみが喜んだ。
パラパラと茜はファイルをめくった。
「あれ? 一か月前からの3号機の記録だけが入っていないぞ?」
――そのとき、ののみの笑顔が固まった。
「あーん、えーとねぇ。それはぁ」
一転、しどろもどろになってしまったののみ。凍り付いた表情が、答えにくいことを如実に物語っている。
「ののみ、3号機の記録だ」
やや厳しめに言ってから、茜は資料に再び目を落とした。
そのとき。
ピュウとののみが逃げ出した。
「あ!? おいおい、ののみー」
逃げ出したと思ったのは茜であるが、やがてののみは何か重たそうなものを引っ張りながら帰ってきた。重たそうなものとは人間だった。瀬戸口である。
「なんだなんだ。ああなんだ、茜か。一体全体、なんだってんだ?」
「いや、それはこっちが聞きたいところだ――」
そう言う茜の持つファイルに、目ざとい瀬戸口は気付いた。ははぁん、と言って笑い、ちょっと膨れ気味のののみの頭を軽くポンポンと叩く。
「悪い、それは俺が頼んだんだよ。ののみ、ごめんな」
ののみはプイッと横を向いた。
「3号機の記録を抜いたのか。いったい何のために?」
茜の表情は固い。
「いくら茜でも、言えないなぁ」
「――軍規違反だぞ?」
「悪く言っても、職務怠慢ぐらいにしておいてくれないか?」
茜は笑わない。一層、瀬戸口を詰問した。
「なにが理由だ。抜いた資料を見せてもらおう」
瀬戸口は腕を組んで、斜に構えたような不適な笑顔を浮かべる。
「もう捨てた」
「ならば、軍規違反だ!」
緊張した時間が流れた。
ののみが心配そうに瀬戸口と茜を交互に見つめる。どちらも譲らなかった。――すわ我慢比べか、と思われたそのとき、茜にとって非常に意外なことに瀬戸口が降りた。
「わかったわかった。俺の負け。降参だ」
ガチャガチャと奥の据え付けられている古びた机の鍵を開け始め、やがて書類一式を取り出した。
(瀬戸口は、なぜ…降りた?)
あれほど善行には逆らったはずなのに。茜は意表を突かれた気分で、ののみを見つめた。
そして、瀬戸口のことが少し分かった気がした。
ののみは今にも泣き出しそうな顔をしていたのだった。
「――だけどな、茜」
瀬戸口は書類を差し出しながら、顔はさわやかに言葉はいやらしく茜に言った。
「人間、知らなくていいこともあるんだぜ。これは多分、その類だ。闇に葬っておいた方が世の中うまく回ることもある。見てもいいが、見なかったことにしろ。それがいい、と俺は思う」
茜の手が伸びた。まずは見てからだ、とひったくるように書類を奪った。そして、荒々しく書類を読みとっていく。
やがて、茜の顔が険しくなった。
ののみが瀬戸口の陰に隠れた。心の読める彼女は、茜の心に怒気が蓄積されていくのが分かるのだ。
茜が資料から顔を上げ、瀬戸口に食いかかるような勢いで言った。
「おい、これは一体どういうことだ!」
「書いてあるとおりのことだ」
「こんなことがあるわけがない」
「しかし、事実だ」
茜がもう一度資料を穴があくほど見つめた。そして気付く。
「――まさか!」
「その、まさかだよ。茜」
瀬戸口の表情から笑いが消えていた。
――瀬戸口が隠し、茜が見たその資料に書かれた内容とは。
1 速水の身体的変化の記録が全てゼロ表示になっていたこと。
そればかりか、
2 3号機の稼働状況が「緊急事態」と表示されていたこと。
以上だった。
速水の反応が無く、3号機は緊急事態。こんなことは、3号機が被弾し速水が戦死したぐらいしか通常考えられないことだ。しかし、それは考えられない。速水本人は激戦のなか、しっかり生きていて、いまごろ飄々とした顔で善人でございとでも言うように誰かの手伝いなどしているはずだからだ。
(ならば、なぜ?)
茜の天才的頭脳がそれ以外の最もあり得べき事実を見つけるのに、そう時間はかからなかった。そして、それこそが、瀬戸口が先に見つけ、資料を隠した理由なのだった。
多分、それはこうだ。
3号機のなかでは、このようなことが起こっていたはずだ。
――初戦。
訓練も充分に積んでいない状態で3号機に乗り込んだ速水と芝村。
きっと速水は戦闘前だというのに、緊張感無くのほほんと芝村に言ったであろう。
よろしくね、と。
芝村は無表情に、ああ、とでも答えたであろうか。
「がんばらないとね。死ぬのは嫌だよね」
世間話か、会話の繋ぎにそんなことも速水は口走っただろうか。一方、芝村は何と答えただろう。
「嫌なら降りろ」
そんなところだろう。
しかし、そんなことはどうでもよい。なぜなら、ある程度見計らってから、芝村は速水に言ったはずだからだ。それこそが重要なのだ。断固とした、揺るぎないような口調で速水に言ったはずだ。それは――。
「お前は何をせずともよい」
唖然とする、いやその振りをしているかもしれないだけの速水を横目に、芝村は砲手専用の緊急事態トリガーに手をかけたに違いない。それは、操縦者が戦死するか任務遂行困難な重傷を負ったときに、操縦者の操縦をカットし簡易ながら砲手に操縦を委ねるための緊急の装置。
「手は膝の上におけ。口は閉じておけ」
速水は言われたとおり従っただろう。拒絶する理由は何もない。だから戦闘が終わるまでそうしたはずだ。
そして、それを確認した後、芝村は宣言するように言ったはずだ。
「この戦い。わたしが全てを行う」
――と。
恐らく過去一か月の三戦闘とも、それが行われた。
芝村が全てを行うと宣言し、速水は唯々諾々とそれに従った。
――しかし、それなりのどころか、信じられぬほどの戦果が上がった。
そういうことだ。
「こういうことができる速水は本当にすごいよなぁ。俺には真似出来ない」
皮肉めかして言う瀬戸口。要は瀬戸口は口が裂けても芝村が凄いとは言いたくないだけだ。
(何が凄いものか)
茜には沸々と怒りが込み上げる。
(奴には分かっていたのだ)
何もしなくても芝村が速水の分も戦ってくれることを。何もしなくても戦果が上がり、芝村への周りの評価も変化していくことを――。
(奴は初めから3号機の操縦者も芝村と小隊の融和も真剣にやろうとは思っていなかったのだ)
なんという卑怯な奴だ。信じられない。卑怯の次元を超えている。
――しかし
「全てがうまく回っている」
瀬戸口の言葉に、そのとおりだと認めるように、がっくりと茜はうなだれた。
(善行司令は戦果に満足している。他の隊員も芝村を認めていく。芝村自身も充分な結果だと思っている。誰も不満を持っている者はいない。小隊の和を乱すトラブルの芽はほぼ摘まれた。戦果もさらに上がるだろう。死傷者も少なくなるだろう。唯一不満を持っているのは――自分だけか)
瀬戸口の言うとおりだった。
確かに見なくてもいいものだった。知らなくていいことだったのだ。
茜は激しい疲労感を覚えた。腹の底がムカムカした。
「だいちゃん。きょーはゆっくりやすみなさい」
「はは…。ごめんな、ののみ。ありがとう」
疲れ果てた茜は帰途に着いたのだった。
――その帰途のさなか。
偶然にも茜は速水を見つけた。
電柱脇に箱に入れられて捨てられている子猫に、買ってきたのであろう缶詰を与えていた。
(ふざけるな)
茜は気付かないふりをして通り過ぎようとした。
しかし、茜はまだ若い。一言、速水にぶつけなければ気が済まない。
「おい、速水」
声をかけてしまった。速水はすぐに立ち上がり、茜じゃないか、今日は早いね、とのんびり返した。
「お前…」
さしもの茜も言い淀んだ。
「なんだい?」
ポヤヤンとした速水の表情。だが裏では別なことを考えているに違いない、そう考えると茜の勇気が逆に増した。
だから、言えた。
「3号機の戦闘のこと。あれ、お前、卑怯過ぎやしないか?」
言って、スッとした。
――さて、速水、なんと答える。とぼけるか、怒るか?
言えないことを言って得られた爽快感と、これから起こることの恐怖に茜は震えた。勿論、武者震いである。
――しかし、速水の反応はいずれとも違っていた。
速水はやや真顔でこう言った。
「そうなんだけどね。結構、いろいろ大変なんだ」
そしてクスリと笑って、茜より先にその場を立ち去ったのだ。
立ちつくす茜。横で子猫が缶詰にむしゃぶりついている。
茜は思った。
(本当に)
(本当にずるい奴だ)
速水がとぼければ茜は益々怒ったであろう。怒れば茜は速水との喧嘩に応じたであろう。
だが速水は、――認めたのだ。
そうなんだけどね、と認めた。
そうして若い茜を受け止めておいて、今まで厳重に被っていた笑い顔の仮面をそっと半分ほど外し、誰にも見せたことのない真の素顔をチラリと茜だけに見せたのである。速水という男は決定的にこういうところがずるい。
そんな一面を、こんな場面で、しかも茜のような少年が見せられれば、速水のことを憎むことなど出来なくなってしまう。憎むことが出来なくなれば、あとは――
茜は疲労感とはまた違う重圧を感じ、その場にへたりこんだ。子猫が茜の足に這い上がり、ニャアと一鳴きする。
先程の、真顔の速水が微笑を浮かべるまでの光景が何度も茜の心のなかで繰り返された。気が付くと、茜の心は軽くなり、胸のムカムカが消えていた。疲労もうっすらと薄らいでいた。
要するに速水とはそういう男だった。