――それは完全な敗戦だった。
敗戦に至る一歩は、滝川機の未熟さからだった。
彼は幻獣の攻撃を回避しきれなかった。
直撃を受け、バラバラに大破した。大地に投げ出されて負傷し、壬生屋機によって救い上げられ戦線を離脱した。
壬生屋機の腕のなかで滝川は見る。
幻獣の膨大な群れが、人間側の矮小な戦力をいままさに押し包もうとしていた。無理もない。戦場から二体もの人型戦車が失われたため、戦力差のバランスが崩れてしまったのだ。
自責の念で滝川は唇を噛む。
「みんな、ごめんな」
その目から、悔し涙が流れた。
――あえて滝川を弁護するならば、友軍戦車兵の到着と航空支援が決定的に遅れたことが原因だった。確認された幻獣は恐るべきことに98体、圧倒的に人間側の火力が足りなかったのだ。幻獣戦力に圧倒されるのは開戦当初から時間の問題だった。
たった一機残った芝村と速水の複座型3号機が、戦場に最後まで留まり獅子奮迅の活躍を見せたものの、大勢はやがて決する。当然、人間側の完全な敗北である。戦線は一気に崩壊し、5121小隊は撤退の憂き目を見ることとなった。
――こうなることは分かっていた。
「友軍を誘導していた若宮くんからの連絡で、友軍の到着が遅れることが判明してから敗戦の可能性が高いことは分かっていました」
指揮車のなか、背後で善行が淡々とそう呟くのを、茜がうつむきながら聞いていた。茜は冷たい汗をかき、体温は限りなく冷めていた。今回の作戦を立案したのは茜なのである。小隊の仲間を死の危険に導いたことに、小さな体が潰れるほどの責任を感じていた。だが、若宮からの連絡があったとき、茜はいち早く善行に進言したのだった。
――即時撤退するべきだ、と。
相手は98体の幻獣である。友軍の支援なくして正面から立ち向かってかなう相手ではない。ここは一端退いて体勢を立て直した方がいい――、茜はそう考えたのだった。
しかし、善行は撤退を決断しなかった。留まって戦うことを選んだ。
善行は状況判断と現場指揮の鬼である。戦場に到着した援軍と5121小隊の戦力で、幻獣を挟み撃ちにし、百体近くの幻獣を大地から消滅させることができる千載一遇の機会と捉えたのだった。
(我が小隊なら耐えられる可能性は充分ある。10分でいい。耐えられれば勝利だ。八代市は再び人間の住む都市となる)
――しかし、
その賭けに、善行は、いや5121小隊は敗れた。小隊の支えていた戦線は崩れ、若宮の誘導していた友軍も撤退行動に移行した。人間側の敗北は決定したのだった。
賭けに破れた以上、敗北者は支払うべきものがある。この際、支払うべきは黄金のチップなどではない、それよりも貴重な隊員達の生命である。何枚の命のチップが払われるのか? 考えるだけで茜は足下がふらついた。隊員達と笑顔で交わした会話が思い起こされ、腕が震えた。いったい誰を失ってしまうのか――。
「撤退経路は確保してありますね? 茜君」
善行の落ち着きすぎた声だった。怒りが、茜に生じた。こうしている今も、小隊の仲間は死線をかいくぐる撤退戦を演じているはずだ。しかし当然、その怒りは善行だけでなく、茜自身にも向けられた。なぜもっと強く進言しなかったのか、茜はさらに苦しむ。
茜は震える手でコンソールを操作した。ビジョンのほの明るい光が暗い指揮車内を照らした。無言の瀬戸口によって処理された情報がビジョンに映し出されていく。5121小隊及び友軍の撤退状況を一見したあと、茜は善行に答えた。
「て、撤退経路は安全を確保。壬生屋機と滝川はすでに撤退経路上」
これについては分かり切ったことで、善行はうなずきもしない。
「――芝村、速水3号機は地点Cにて応急修理及び補給中」
善行はやっとうなずく。
「補給には通常10分、芝村さんなら8分でやってのけるでしょう。大丈夫ですね。各スカウトは?」
「若宮は、友軍とともにすでに撤退経路の2Km範囲内」
「これも大丈夫ですね。残りのスカウト隊員は?」
「残りは…」
言いかけて、うっと茜は絶句した。頬に汗が伝った。状況の壮絶さに言葉を継ぐことができなかった。
善行がビジョンを見上げる。光点のいくつかが善行の眼鏡に反映した。
「どうやら、逃げ遅れてしまったみたいですね」
ドン、と鈍い音がした。茜が何かを蹴り上げた音だった。
――地点C。
傷ついた3号機の応急修理を速水が行い、芝村が据え付けられた高タンパク質のバルブを直結させている。
「急げ。補給など5分ですませられる」
そう急かされても速水のこと。いつもながらこの男には緊張感がない。
「みんなは大丈夫かなぁ」
言いながら、切断された3号機の人造神経をのんびり繋ぎ合わせていた。
芝村は緊張感の無さに一喝を加えようとチラと横目で速水を見たが、意外なことに速水は巧みに仕事を進めていた。はやばやと3号機の腕の修理を終え、足に移っているほどだったのだ。
(案外、有能な男なのかも知れない)
ほんの少々だが、芝村は速水を見直した。
今日も、3号機を緊急事態にさせ芝村一人で戦闘を遂行した。速水はいつものとおり座っているだけだった。訓練のときも、複雑な連携をこなしたわけでもない。深い会話をしたこともなく、要するに芝村は速水のことをよく知らなかった。考えてみれば、これが速水の仕事ぶりを見た初めてのことだった。はっきり言って、芝村は速水のことを無能だと思っていた。有能の自覚が多少でも速水にあるのならば、スポイルのような真似をされて黙っているはずがない。黙っているのは、自分が無能であるのを自覚しているからだ、くらいに思っていたのだった。
しかし撤退という局面で、落ち着いて修理をこなせるのは、やはり速水が非凡である証拠だろう。芝村は速水のことを見直した。しかし、少々見直したからと言って、芝村が気を許すには至らない。
厳しい檄を速水に飛ばす芝村。
「修理を終えたら稼働チェックを行え。確保されているはずの撤退経路だが、万が一でも幻獣に会わないとは限らないからな。そのときに腕も指も動かないでは話にならぬ」
はぁい、と間の抜けた声を出した後、速水はスックと立ち上がり、稼働チェックを始めるための準備を始めた。
「待て、チェックは修理が終わってからだ」
「終わったよ」
「なに?」
「神経は全部繋いだよ。応急用の皮膚もかぶせた。修理は全部終わったんだ。稼働チェックも、…よし。うん、これで全部終わったよ」
芝村は、驚いたように目を大きく見開いて速水を見つめた。
(早すぎる)
専門の技師でもこうはいかぬ。だが本当に全ての作業を終えてしまったようだった。
芝村は顔をそむけ、ふむ、と一言漏らした。二、三歩足を進める。
次いで、分かったと言った。その間、表情はまったく微動だにしない。
やがて速水の方に振り向いて、宣言するように言った。
お前に詫びよう、と。
「わたしはお前のことを勘違いしていたようだ」
それはとても人に詫びているような態度と言動ではなかったものの、芝村としての精一杯の誠意だった。
芝村は速水のことを、協調精神だけに優れ、他の能力に劣るパートナーとして捉えていたのだった。だからスポイルさせてもらった。当たり前のことだった。それが芝村の利益だけでなく、パートナーの能力を生かし、パートナーを選択決定した指導者との思惑に合致すると思っていたのだった。結果、優れた戦果が上がれば何も言うことはない。それは小隊の利益どころか、九州管区全体の利益に繋がる。いや、人類全ての利益である。
「だから3号機を緊急事態にさせ単独で戦闘に臨んだ。しかし、それがお前の本来の能力を生かした結果ではなく、自尊心やあらゆるものを犠牲にした結果であれば、それはわたしの本意ではなかった」
そして、気付くか気付かないか微妙なくらい、会釈よりもはるかに浅く芝村は速水に対して頭を傾けた。髪の毛の一本すら垂れることはなかったので、こういうのは普通頭を下げたとは言わないが、速水は困ったような表情を浮かべてそれに応じた。
「難しいことはよく分からないけど」
ここで詫びる芝村に乗じたら後が怖そうだ、と速水は思ったのかも知れない。
「それよりも、補給を急ごうよ」
笑って速水が言うと、芝村は表情を変えずに、うむとだけ言って自分の作業に戻った。
まだ、二人はどこかぎこちなかった。
補給終了まであと4分――
芝村がバルブの直結に成功し、燃料の充填が開始されたとき、ふと見ると速水が妙なことをやり始めていた。速水はアンテナを立て、緊急用レーダーを展開しようとしていたのだった。
「何をしている?」
「幻獣と味方の位置を把握しようと思って――」
芸が細かい奴だ、と芝村は思った。
「無理はやめておけ、それよりも時間の方が黄金より貴重だ」
しかし、速水は神速の技で配線をつなぎ、ものの30秒で組み立ててしまった。すぐさま起動を開始して、周波数を合わせる。
「映った。こっちへ来て」
「見ている暇などない。状況だけ言葉で伝えろ」
「いや、――芝村」
見ると、速水の表情から笑いが消えていた。
「直接、見た方がいい」
尋常ならぬ気配を感じて、芝村は迅速に行動した。工具を置いて、速水の背後に赴いた。そして、速水が作り上げた緊急用レーダーの表示を見据えた。
「これは…!」
それは指揮車のなかで茜と善行が見た光景と同じものだった。その状況の壮絶さに芝村でさえ同様に絶句した。
「馬鹿な、戦場経験の少ないスカウトを単独で残すなど。若宮は何をしていた。来須はどこにいる」
「若宮は友軍と共に撤退経路寸前だよ。来須は分からない、捉えきれない位置にいるのか、すでに敗れたのか…」
「すでに十体近くもの幻獣に取り囲まれているではないか。しかも他の幻獣も集結しつつある。いったい何体の幻獣が接近している?」
「ほぼ全部。98体」
速水が答えるのと同時に芝村は行動を開始した。工具を拾い、バルブを閉めようとする。
「なにをする気?」
「言うまでもない。補給を中断し、田代を救いに行くのだ」
「今から行っても間に合わないよ。補給もまだ終わってない。到着するまでに3号機は動かなくなってしまう」
風を切る音がして、芝村の持っていた工具が3号機の足に当たり、大きな音を立てて転がった。力一杯芝村が投げ捨てたのだ。
「なぜだ。なぜこうなった。田代はまだ経験が少なかった。だからこそ後方に配置されていた。負傷でもしたというのか? 撤退命令が発令されて十分な時間が経っているぞ」
多分――、と速水が答えた。
「田代は負傷したのではないよ。経験が足りなかったからでもない」
「では、なぜ戦場に取り残されたのだ」
「取り残されたのではないんだよ」
「言っている意味が分からないぞ」
「田代はね、自分の意思で戦場に残ったんだ」
「自分の意思?」
芝村は首を捻った。速水の言っていることが本当に分からない。
「芝村、何で分からないんだい」
速水の表情に、いつしか真剣さが加わっている。
「田代は僕らのために――」
そこまで言って、それ以上言葉を続けることが速水でさえ出来ない。
芝村は呆然と立ち尽くす。やがて歯をくいしばりながら天を仰いだ。
やっと芝村は理解した。
そう、田代はみんなのために――
「あえてひとり、自らを犠牲にして戦場に残ったと言うのか」