「わたしが――敵だと?」
速水はうなずいた。
「そう。きみこそ、僕が戦わなければならない敵だ」
「なぜ、わたしが敵なのだ?」
「きみが最後に田代を殺すからだよ」
「わたしが田代を? 殺す――?」
「きみだけじゃない。たくさんの人間が田代を殺そうとしている。田代が死んでもいいと認め、見捨てようとしている。善行司令もそう、今回のことは彼がほとんど絵を描いたんだ」
「善行が? 馬鹿を言うな」
それは芝村にとって信じがたいことだった。芝村から見れば、善行など少々優秀なだけの末端に位置する中間管理職に過ぎない。そのような能力があることすら認めていなかったのだ。
「残留しやすい場所に田代を配置したのは善行司令だよ。全てを理解した上で司令は冷徹な判断を下したんだ。田代に死に場所を与え、小隊の犠牲を最小にとどめるためにね」
芝村は言葉に詰まった。
速水の言うことは一見、理屈が合っていたからだった。戦場経験の少ないスカウトが誰にも知られずに戦場に留まるなど通常は考えられない。そこに誰かの作為があったとしても何らおかしいことではなかった。
――しかし、それを裏付ける証拠は何もない。
「なぜお前にそれが分かる。千里眼でも持っているつもりか」
「芝村。分かるんだ、僕には」
「分かる、だと?」
――分かる、とだけ言われて、芝村が納得できるはずもない。
「そんなことが信じられると思っているのか?」
言ってから、芝村は驚いた。この得体の知れない男が、このうえなく悲しげな表情を浮かべたからだった。
(まさか、本当に分かるというのか)
いやそんなはずはない、と芝村は懐疑の念を捨てられず、もう一度聞いた。
「なぜ、――分かるというのだ」
「僕には全てが見えるから。人が何を欲しているのか、何を求めて生きているのか、僕には全て見えてしまうから。物事がどのように発生し、どのような終着を迎えるのか分かってしまうんだ」
速水の目には一点の曇りもなかった。
「馬鹿な!」
「みんな、自分の心を慰めるために生きている。生きるために、避けるようにして現実を処理している。今回もそう、田代の望みだと言って、田代を殺そうとしている。心を押し殺しているように見えてそうじゃない。みんな低きに流れているだけだ。田代を切り捨てることの方が簡単なだけなんだ」
「違う、そうではない。田代の望みなのだ。それは汚すべきではないのだ」
「芝村の気持ちは分かる。そもそも、最も悪いのは田代自身、一番田代を殺したがっているのは他の誰でもない、田代本人だった。だけど芝村、忘れちゃ駄目だ。初めは田代だったかもしれない。善行司令が広げたのかも知れない。だけど最後は芝村、きみなんだ。きみが見捨てることで田代は確実に死の道を歩むんだ」
「――ならば、いったいどうしろと言うのだ?!」
叫ぶ芝村に、速水は澄み切った笑いを見せながら言った。
「僕と一緒に、田代を助けに行ってくれないかな?」
そのときレーダーから異常音が鳴った。戦闘開始を告げる音。田代と幻獣の戦闘が開始された音に違いなかった。
しばらく考えてから芝村は重い口を開いた。
「できぬ。できぬ相談だ、速水。命が惜しいわけではない。わたしもできるならば田代を救いたい。しかし、やはり田代の意志を尊重したい。今から行っても間に合わぬ。よしんば田代が持ちこたえていたところで、お前が言ったとおり武器もなければ救出もおぼつかぬ。助けにいった我らが敗れれば、田代は決して我らを許してはくれまい」
そして――、と芝村は続けた。
「お前が人間離れした洞察力や判断力を備えていようとも、完全に未来を予知できるわけではあるまい。仮に田代を救出できたとしても、田代が幸せになるという確証はあるのか? まして、田代が恥じて死を選ぶ可能性がないと言えるのか」
「芝村、その考えが田代を殺すんだ。僕はその考えと戦うためにここにいる」
「どちらにせよ、答えは否だ。わたしを説得することはできないと思え」
「残念だよ、芝村」
こうなることは分かっていたけれど、と言いながら速水は行動を開始した。
芝村が身構える。
「遂に本性を現したな。どうするつもりだ。その腰のものでわたしを撃つか。まさか芝村を脅迫できるとは思っていまいな。そのような辱めをうけるくらいなら…」
「心配しなくていいよ」
芝村の力が抜けるくらいのんびりした口調で速水は言うと、よっこいしょと言ってレーダーを芝村が見える位置にずらした。表示されたモニターのなかで、ひときわ田代の光点が輝き、そのまわりを一重二重の幻獣の群れが取り囲んでいる。
「何のつもりだ」
「賭けをしよう、芝村」
「賭け、だと――?」
速水が屈託のない笑顔で笑っていった。
「僕はこれから奇跡を起こす」
「な…?!」
「決して、この地上から田代を消滅させはしない」
「ついに、気が触れたか。速水!」
正常だよ、と不平そうな顔をしながら速水がポンポンとレーダーを叩いた。
「奇跡は起こる。僕は信じている」
「たわけ、奇跡など起こるものか」
田代は死ぬ運命なのだ――。そこまでは芝村には言えなかった。だが、ことここに至れば仕方のない状況だと認めていた。
しかし、速水は言う。
「奇跡は起こる。起こるべくして起こる。僕にとっては奇跡でも何でもない。でも多分、田代を殺そうとするきみたちには、奇跡にしか見えないだろう!」
「悪趣味はいい加減にしろ! 田代が幻獣に殺されていくのを見ていろと言うのか!」
「違う。田代は死なない。僕がそうさせない。だから、芝村、いいね。もしこれから奇跡としか思えないことが起こったら――、賭けは僕の勝ちだ。僕の言うことを一つきいてもらう」
「いいだろう。しかし、もし奇跡が起こらなかったらどうするのだ?」
「これで――」
速水から放り投げられた拳銃を無表情で芝村は受け取めた。重みで分かる。全て実弾が入っている。
「今度こそ、僕の頭を打ち抜けばいい」
指揮車のなか、茜は神に祈っていた。
正確に言うと、神ではない。
神のようなもの、人間を超える存在。悪魔でも何でも良かったのだ。田代を助けてくれるなら、茜は魂さえも売り渡しただろう。
(お願いだ――)
誰か、田代を助けてくれ。
心が震える。涙が止まらない。
(頼む――誰か)
しかし、無情にもモニターに表示された幻獣の群れは、刻一刻と包囲の網をせばめ、田代の光点に肉薄していく。
茜はクシャクシャの顔で、逃げ出してしまいたいのを懸命にこらえる。
(絶対に逃げ出すものか、最後まで見届けるのだ、例え心がすり切れ、跡形もなく消え去っても――)
それが茜にできるせめてもの贖罪だった。
やがて始まる戦闘。
田代の光点に、5体近くの幻獣の光点が急接近し明滅を始め、銃声と叫声は聞こえないものの、次々と戦闘データが指揮車に送りこまれてきた。
「田代、ウォードレス腰部15%損傷。回避能力5%低下」
「田代、ウォードレス右肩部25%損傷。命中能力20%低下」
無感情にオペレートしていく瀬戸口。孤立無援の田代の奮闘が伝わり、聞くたびに茜は震えた。
(死ぬ。死ぬ。田代が死んでしまう。嫌だ、助けて。誰か田代を助けて――)
それを背後から見つめる目があった。善行である。
彼も過去、幾度となくこのような場面に遭遇したことがあった。今の茜以上にとり乱したこともあった。
(奇跡を願っているのですか、茜君? しかし、神は無情です。奇跡など絶対に起きはしません。――少なくとも、わたしには起きなかった)
苦すぎる思い出によって、善行はそう確信していた。
(そう、奇跡など絶対に――)
つぶやいていた善行の口がピタと止まった。
「あ…」
と同時に茜の震えも止まった。
瀬戸口もモニターに釘付けになった。
――それは、ありえないことだった。
茜の泣き顔が、少しずつ変化を遂げ、
善行は呆然として、想定外のことにしばらく立ち上がれず、
瀬戸口は喜声をあげて、ヘッドフォンを床に叩きつけた。
茜の頬を伝っていた冷たい涙が、熱く込み上げる嬉し涙に変わっていった。
――ここにいま、奇跡は起こったのだった。