田代の弾丸は残り少なかった。
頼みの綱のウォードレスもすでに機能不全の状態だった。
そのうえ醜悪なミノタウロス達が壁のように田代ひとりを取り囲んでいた。
はるか遠方には浮遊する要塞、巨大幻獣スキュラの姿もかいま見える。
(これで俺は死ぬんだな)
田代は思った。
軽装備でなんとかここまで戦った。我ながらよく頑張ったと思った。5体近くのヒトウバンを屠り、第2陣のミノタウロスをおびきだすことに成功した。充分な時間を稼ぐことができ、田代は満足だった。
田代は、天を見上げる。
なぜか熱い涙がこぼれた。
悲しいわけではなかった。それは、罪を許される喜びだった。
――堂々と胸を張って死んでいける。
その喜びの涙だった。
(もういいだろ? これくらいで勘弁してくれよ)
田代はまだ弾丸の残るライフルを放り投げた。こんなものはもう必要なかった。田代がこれから向かう、田代を待ってくれている者達の世界には、もうこのような武器は必要なかったのだ。
「すぐに、そっちに行くからよ」
苦しみから解放され、田代は心の底から笑った。
一方、武器を捨てたことに気付いたミノタウロス達が、咆哮を挙げながら田代に押し寄せてきた。
田代は笑いながら、胸元に隠していた手榴弾を取り出す。迷いはない。間髪入れずにピンジャックを引き抜く。
「悪いが、冥土の道連れだぜ」
天に向かって手榴弾を掲げた。
これで死ねる、田代はそう確信した。
戦って死ねる。裏切った戦友と同じ死を分かち合える。田代に悔いはなかった。
――違う。
何者かが言った気がした。
瞬間、田代の持っていた手榴弾が弾き飛んだ。恐るべき速さで飛来した一本のナイフが、正確に田代の手榴弾をえぐったのだ。手榴弾は田代のはるか後方で炸裂し、背後から迫っていたミノタウロスを粉々に砕いた。
――そればかりではない。
たたみかけるような射撃が、田代のまわりにいたミノタウロスを打ち抜いた。心臓と頭に正確に打ち込まれ、幻獣は次々と悶絶し絶命した。
何が起こったのか田代には分からなかった。呆然と回りを見渡し、やがてハッとして前方の丘を見つめた。
――そこに一人の男が立っていた。
それは奇跡か。
いや、それは奇跡でも何でもなかった。
その男にとっては当たり前の選択だった。
撤退経路に到着してみれば、先行しているはずの田代がいなかった。
到着した形跡も撤退した形跡も見つからなかったため、その男はいぶかしんだ。
――田代はどこにいったのか?
男は無言のまま、戦闘直前の田代の言動を思い起こした。
「もし、今日の戦いが終わったらよ、俺のために歌のひとつでも歌ってくれよ」
そう田代は言っていた。そんなことは今までなかったことだった。今思えば、死を意識した言葉に他ならなかった。
男は全てを察した。
後はただ何も考えず、戦場に向けて男は走った。
それが極めて死への可能性が高いと分かっていながら。彼にとって死への恐怖など、田代を救いに行く何の障害にもならなかった。
途中、敵がいなかったわけではない。彼は果敢に闘い、見事に打ち破ったのだ。
傷を負わなかったわけではない。数カ所被弾したが、物の数にしなかったのだ。
そうして、彼はいまここにいる。
5121小隊最強の肉体にして、汚れなき魂を持つ男。
――そう、来須銀河である。
「馬鹿やろぅ!」
田代の怒号が飛んだ。
「何できやがったんだ!」
来須は何も語らない。ただ敵のいる前方のみを鋭利な眼光で見つめていた。砂塵が舞う、第3陣のゴルゴーンの群れが迫ってきていた。
「命が惜しくなかったのかよ!」
来須は黙って、ライフルに最後の弾丸を装填する。
「ちゃちな勇気か!? しゃらくさい正義感か?! そんなものはな死ぬ人間には何の意味もねぇんだよ。来須、お前はここに来るべきじゃなかったんだよ」
わめき立てる田代をよそに、来須は押し寄せるゴルゴーンの先頭に向かってライフルを構えた。機械のような無駄のない動きで、来須は冷静沈着に狙撃を開始する、一頭、また一頭、正確に撃ち殺していく。
「聞いてるのかよ、何か答えろ!」
しかし、来須は何も答えない。最後の一発を撃ち終わるとライフルを捨てた。拳銃を抜き、丘を駆け下り、田代のそばに立った。途中、田代が捨てたライフルを拾い、田代に押しつけるように渡した。
「な、なんだよ」
来須は何も言わなかった。無言で田代を見下ろすばかりだった。
「言いたいことがあるなら言えよ!」
「…」
見下ろしてくる来須に負けじと田代は来須を睨み付けた。奥に輝く来須の目は、驚くべきことに優しいものだった。思わず、田代は目をそらした。そのとき初めて気付いた。
「来須! お前、そのウォードレスはどうしちまったんだ?」
来須は田代と違って、重装備のウォードレスを着込んでいたはずだった。それが、いまやそうではない。ところどころ装甲や武装が剥がれ落ちてしまっていた。まるで無理矢理引き剥がしたかのように無惨な姿を呈していた。
「…まさか。まさか、自分で外したのか? 軽くするためにか!?」
来須は何も語らなかった。
「馬鹿野郎…」
少しでも早く駆けつけるために、来須は武装を捨てたのだ。死への確率が大幅に上昇することが分かっていながら、だ。
「なぜ? 俺は死ぬ覚悟ができていた。お前も分かってたはずだ。なのに、なんで来たんだよ?!」
ぐっと熱いものがこみあげてくるのを田代は感じた。自然と涙が溢れてきた。さきほどの涙とは全く違う種類のものだった。
しかし、やはり来須は黙して語ることはない。
語らなくてもいいのだ。語らなくても、本当は田代にはわかっている。
――仲間。
――仲間だから。
田代がそうしたように、来須も死を賭してやってきた。
やがて来須は、田代をそのままに、きびすを返した。迫り来るゴルゴーンの群れに向かっていった。
「来須、待ってくれ!」
しかし来須は止まらない。田代は涙を拭いて後を追った。
田代には、来須の背中が今まで以上に大きく見える。
来須はゴルゴーンの群れに突入した。一発、一発、精密な射撃でゴルゴーンの眉間を打ち抜いていく。やがて、一言も発さなかった来須の背中が、何かを語っているように田代には感じられ始めた。
男の背中は語っていた。
――戦え、生きろと。