「よかった、これで田代は助かる」
C地点。安堵の表情でレーダーを見つめる芝村がいた。
レーダーには来須を示す光点が輝いていた。
奇跡は起こったのだ。
速水の言っていたように起こるべくして起こったことであったが、田代の命を絶望視していた芝村にとっては神の奇跡に他ならないことであった。
「賭けはお前の勝ちだ、速水」
不思議と悔しくもなんともなかった。それどころか爽快感さえ感じていた。賭けに敗れたと言うのに、自尊心の強い芝村には考えられないことだった。
(わたしも焼きが回ったものだ)
当の芝村が最も当惑している。おかげで、速水の拳銃を返すのにうつむき加減にならなければならなかった。速水に表情を見られたくなかったのである。
速水は拳銃を受け取った。そのとき冷たい表情で芝村に言った。
「だけど、田代はまだ助かったわけじゃないからね」
意外なことだった。芝村は、来須の武装と戦闘力であれば脱出は充分可能であろうと思っていたのだった。
「どういうことだ?」
「来須は武装を捨てた。だから、こんなに早く助けに来ることができたんだ。今の来須にはね、戦闘を維持する力はあっても田代を連れて脱出する余力はないんだよ」
せいぜい時間稼ぎしかできない、と速水は言うのだった。それを聞いて芝村は反射的に反発を覚えた。なぜお前にそんなことが分かるのだ、と言いかけたのだ。しかし、言いかけたところでハッとした。
「――分かると言うのだな、お前には」
「うん、分かる」
当然と言った顔で答える速水だった。悠然としていた。それ以外に答えようがないという感じでもあった。
だが、芝村の方はと言うと、困惑していた。
全くもって速水という男が分からないからだった。信じるべきかどうか、決めかねていた。信じられないという思いと信じたいという思いが激しく交錯していた。そのような己の持てあました感情に怒りすら感じていたのだった。
「ちょっと待って」
そんなとき速水が声を上げた。そして急に何もない地面を蹴り始めた。掴みがたい目で見つめる芝村を尻目に、やがて土の中からレバーが現れた。速水がグッと力を込めてそれを引くと、補給ポンプの裏側にあるハッチが激しい音をたてて開く。
芝村が驚きの声をあげた。
「これは? ここには補給用燃料と応急修理用資材を除いて何もなかったはずだが」
「あるんだ」
速水はハッチまで歩くと、両手に力を入れてモノを引っ張り上げた。それは紛れもない、換装用弾薬の多目的ミサイル倉だった。弾薬乏しい芝村達には喉から手が出るほど欲しいものである。しかし、破壊力や重要性から言っても誰にも知られず置き捨てられているものではなかった。ないはずのものがなぜここにあるのだ、と芝村が問うよりも早く速水が答えた。
「二週間前、調達を加藤に頼んだ。設置は中村に頼んだ。非合法な方法だったけど、これが必要になることはずっと前から分かっていたから」
かねてより速水が準備してきたということだった。
おそらく、調達した加藤も、設置した中村も、きっと何のためにこれが必要だったのか分からないまま行動したことだろう。得体の知れない速水の人望と信用だけがそれを可能にした。
「必要になることがわかったのは、いつからだ?」
「幻獣が大挙して上陸し、善行司令が田代の命に値段をつけ、最後に田代を殺す者が小隊に入ったとき、だね」
「最後に、とは、わたしのことだな?」
「そうだよ」
飄々と答える速水の態度に、芝村は気にくわないと思ったものの――
(どうやら、これは)
信じるしかないようだ、と思い直した。二度までも物証を突きつけられ、それでも信じない人間がいるかもしれないが、そこは芝村である。速水に対するわだかまりは残っているものの、誰よりも柔軟で何を為すべきかは芯より心得ている。
「貸せ」
言うが早いか、速水の持つミサイル倉をひったくった。すぐに3号機にジョイントを開始し、手慣れた操作でミサイルの充填を完了させた。次いで補給の終わった高タンパクのポンプを一蹴りで解除させた。
「行くぞ、速水。時間はない」
速水はゆっくりとうなずいた。その表情は、とりだてて嬉しそうでもなかった。意外なことに、どちらかと言えば、そう、なぜか残念そうな顔だった。しかし、芝村は気にしなかった。
「お前に従うのは、賭けに負けた今回限りだからな」
そう言って、3号機に飛び乗った。当然、すぐに速水も乗り込んでくるものと思っていたのだ。しかし、速水はその場に留まっていた。
「ん、どうした?」
速水は答えなかった。それどころか、その顔や首筋には大量の汗が噴き出していた。
「どうしたというのだ?」
急速な速水の変化に芝村はいぶかしむ。
「ちょっと…」
速水は絞り出すような声を出した。
「なんだ」
「ちょっと待ってくれないかな」
いまや、その表情は青冷めてすらいた。
「いったいどうしたというのだ?!」
「…動けないんだ」
「なに?」
「はは…。体が動かないんだよ」
ひきつるような笑いを速水は芝村に見せた。速水のそんな余裕のない表情は初めて見るものだった。
「速水…?」
「わかっていたんだよ、なんとなくだけど」
速水はじっと自分の手を見ていた。その手は小刻みに震えていた。
「僕にとって、一番分からないのは自分のことだから…。それでも、分からないまま、行動できればいいと思っていたんだよ。だけど、やっぱり駄目だったみたいだ」
「どういうことだ。わけがわからないぞ。説明しろ、速水」
「僕の心はまだ完全に僕のものになっていないということなんだ」
「なに?」
「僕は戦わなくてはならない」
「何を言っている」
「ごめんね、芝村。無関係な君を巻き込んでしまった。これから僕は、きみの身を危険にさらしてしまう」
「速水? いったい何を言っている? わかるように説明しろと言ったはずだ」
「1分でいい、僕に時間を。それで決着をつける」
速水の震える手が腰のホルダーに伸びた。拳銃を握った瞬間、その震えは止まった。瞬間、銃口が芝村に向けられる。
「!!」
「大丈夫だよ、芝村。僕は勝ってみせるから」
震えは止まり、銃口が正確に芝村の額を指していた。芝村は蛇に睨まれた蛙のように一歩も動けない。動けば躊躇無く撃たれることを本能が告げていたからだ。一滴の汗が芝村の頬を伝う。が、芝村には一寸のひるみもない。それどころか力を込めて、キッと速水を睨み返しさえした。
「速水…。お前の精神はやはり常軌を逸しているのではないか? お前はいま何をしているのか本当に分かっているのか?」
「分かってるよ。しかも落ち着いてもいる。僕はね、正確に言うと僕の心の一部はね、命が惜しくなってこの場から逃げ出そうとしているんだよ。それも目撃者を残してはいけないから、たった一人の同僚さえも始末しようとしているんだ」
「…」
「僕にはね。昔からそういう心があった。いかなる卑怯な手に訴えても、自分の命だけは守ろうという心…。いや、小隊にいて時間をおくるうちに変わってしまったけれど、その心こそが本当の僕だった」
「速水…」
「芝村、ごめんね。最後に田代を殺す者は君ではなかったよ。僕だったんだ」
このうえなく寂しげな表情だった。まるで世界全ての悲しみを背負っているかのような。それを見て芝村は思った。この男の本当の表情はこれではないか、と。実はこの男はずっと助けを求めて苦悶していたのではないのか――。
全てを吹き飛ばすように、速水は叫んだ。
「僕は戦わなくてはならない、僕自身の心と!」