(最終話)
芝村に銃口を向けたまま、速水は語る。
孤独な世界での戦い。それが速水の最後の戦いだった。
「昔ながらの僕よ。邪悪で卑怯な僕よ。僕は田代を助けたい。時間がないんだ、行かせてくれ」
──駄目だ。
と、もう一人の速水が答えた。地の底から聞こえるような氷のように冷えた声だった。
「僕は死なないし、誰も死なせない。来須が生命を懸けて希望を繋いでくれた。あともう少しでみんな助かる。助けることができるんだ」
──死にたいのか?
「死にたくはない。生き続けていたい。死ぬのは怖い」
ならば、ともう一人の速水の勢いが増した。
──確実に生き残る方法がある。簡単だ。今までやってきたようにすればいい。
「いやだ!」
──ずっと、どこでも、お前はそうしてきた。誰もがあとずさる卑怯を躊躇なく実行してきた。今さら後ろ指をさされて邪悪と言われるのが怖くなったのか。
「いやだ、もうしない。芝村は殺させない」
──なぜだ?
「助けたいから」
──ふざけたことを言うな。どうやって今まで命を繋いできた。人の愛か? 笑わせるな。お前が生き残ってこれたのは、お前自身の邪悪と冷徹さによってだった。何人の命を奪ったか、よもや忘れたとは言わせない!
震える手が引き金を引こうとするのを、速水は必死に抑えた。
「もう、いやなんだ。殺したくないんだ。誰も失いたくないんだ。助けたいんだよ」
──殺せ!
「いやだ! いやだぁ!」
「構わぬ。撃つがいい」
銃口を睨み付け芝村が凜として言った。
「芝村、駄目だ! 僕らの戦いに入ってきちゃいけない」
速水が止めるのもきかず、芝村は三号機から降り立った。
「どう控えめに見ても私は死の淵にいる。速水、どうせ死ぬなら、私は戦って死にたいのだ」
地上に降り立った芝村は、一歩また一歩と速水に近づいた。
「駄目だよ、芝村。本当に危ない。そのまま近づかれたら抑えきれない。今度こそ引き金を引いてしまうよ」
「引けばいい。言ったはずだ。撃てばいいのだ。私はちっとも怖くはない」
芝村は速水を睨み付けた。
「なぜ、私が死ぬのが怖くないか、お前に分かるか?」
速水ではなく、もう一人の速水への、それは挑戦状であった。
もう一人の速水が、口を歪めて笑った。
──お前は「芝村」だからな。
「そうだ。私は芝村だ」
──常人とは違う。
「ふむ、それは違いない」
──死を恐れないのは、感覚や精神力が、常人のそれを遙かに凌駕しているからだろう。
「違う」
嘲るような表情を浮かべ、芝村は言った。
「修験者や修行僧が何のために一生を費やすと思っている。どれほど知識や技術を高めようと、本能的な死の恐怖に耐えうるはずがない。能力の高さと精神力は比例しないのだ。そもそも、速水。能力で死の恐怖に打ち勝つことができるならば、お前こそ死の恐怖に打ち勝っていなければならないはずだ」
ぐっと絶句した後、ならば、ともう一人の速水が続けた。
──死を恐れないのは、そのように訓練されているからだ。
「それも違う」
芝村はあごをしゃくりあげ、からかうような表情を見せた。
「死を克服する訓練とは、すなわち自分を殺す訓練のことだ。我ら「芝村」にはあてはまるわけがない。なぜなら、すべからく芝村とは自律的で能動的な存在であるからだ。己を殺して行動することなどありえない。分かるか? 集団が維持されるからこそ個は喜んで死ねる。だが、芝村は唯一の個であって他には替えがきかぬ。代替がきかぬ個が、代替がきく集団のために、その身を犠牲にするわけがない。その点から言えば、我ら芝村の方が、常人より遙かに死の恐怖を感じるものなのだ」
──ならば、なぜだ? なぜ死を恐れないのだ?
「やはり知りたがるか。闇に生きる者よ。まあいい、勿体ぶることはせぬ。気前よく教えてやる。私が死ぬのが怖くないのは、私が死んでも太陽の下に残るものがあるからだ」
──なんだと。
「生き残って失うより、死んで残したいものがあるからだ」
──い、いったい、なんだそれは。
「分からぬか? 速水はすでに分かっている。お前には一生懸けても解けぬ謎なのかもしれぬ。お前は生きることを望むというより、単に死を避けているだけだからな」
──そうだ、何が悪い。生きるためならどんな卑怯も邪悪も呑み込んできた。常に颯爽として建前を吐き、心の安寧を求める軟弱なお前達「芝村」とは違う。
「間違っている」
──何がだ。何が間違っている。
「それでは、せいぜい百年しか生きられぬ」
──ふざけるな。まさにいま死地に飛び込もうとしていた奴が言う台詞か。ならば、お前はいつまで生きられるというのだ。言ってみろ!
「永遠だ」
──なっ
「我ら芝村は永遠を生きるのだ。”青”と共に」
「速水!」
絶句しているもう一人の速水を放置して、芝村は速水に語りかけた。
「私を撃て」
己の心臓のある場所を指し示す。
「私はお前に懸けることにした。私を撃って、お前の闇と共に葬るがいい」
「芝村、何を言い出すんだ」
「私の道をお前に譲る。お前が歩み始めようとしている道は私と同じ道なのだ。いや、元々私の道などではなかった、私の父の道だった」
芝村は軽く首を振った。
「速水。お前の能力は信じられぬほど高い。芝村として育てられた私の能力を遙かに凌駕している。お前であれば、田代を救い、そしてこの九州管区の戦いを制し、やがては戦争そのものを終結させることができるかもしれない。そして、歩む道が同じであれば、いつかは青に付き従い、世界を救うこともできるかもしれない。しかし、私には無理だ。無理だと言うことが、お前に会ってよく分かった。私は常に一人で、一人であることに疑問を覚えず、他を省みることがなかった。私の強さは、私個人の強さに留まった。強さを得ても、誰一人救うことができなかった。それどころか、お前の言うとおり、田代を殺そうとさえしたのだ。つまり、私には道を歩む資格がないのだ…」
「芝村、違うよ。僕はそんな綺麗な人間じゃないんだ。聞いてくれ、芝村、僕は」
「過去のことなど聞いても無駄だ。速水、あるのは未来だけだ。過去を向くな、未来だけを見ろ。絶望に心が支配されても、どっちを向いてもそこにあるのは未来だけだ。例え世界の全てが絶望に支配されても、どこまで行っても、そこにあるのは、やはり未来だけなのだ」
「芝村…」
「私の屍を越えてゆけ、速水。私はいい生け贄になるぞ。お前のことだ、見えていたのだろう。わたしにもその程度のことは分かる。お前がお前自身の意志で私を撃てば一生の悔恨となる。その悔恨がもう一人のお前を一生かけて押さえ込むことになる。そして、お前は解放されるだろう。新しい道を歩き出せる」
「駄目だ、できないよ。芝村。したくないんだよ。君を殺したくないんだ」
「撃つのだ、速水。撃って闇の竜を倒せ」
「出来ない」
「速水、これは他の誰でもない、私が自分の生命に対して下した決断だ」
「出来ない!」
「ならば、聞け。我ら芝村はな、深海魚だ。人々の群れより一つ下の海層で生きている。温度の低い、光の通らぬ海層に好きでいるわけではないぞ。生きていける環境がそこしかないからそこにいるだけなのだ。しかし、我らは海層は違えども、人々の群れから離れようとは思わぬ。我ら芝村は、常に人々と共にある。しかし…」
芝村の目に切なさが宿った。
「弱き人々は、我らの言葉に耳を貸さぬ。海底の底から、鮫が近づいていると忠告しようとも、大波が迫っていると警告しようとも、深海魚である芝村の言葉は、常に彼らの耳には届かないのだ。
我らの伝説は言う。竜はただのトカゲだが、空を飛ばねばならぬから空を飛ぶ。火を吹かねばならぬから火を吹く。トカゲは、全ての不可能を可能にしても、やらねばならぬことがあったのだと。しかし、我らはいまだ深海魚のまま、ついに深海から抜け出すことはできなかった。人々の心に呼びかけることは我らにはできなかったのだ」
「芝村…」
「だから、我々は待っている。大空へ羽ばたける者を。全てを統べて闇を払い、夜明けが来たと告げる足音をさせる者を。速水、お前がそれになりうるのであれば、私の命など惜しくない」
「あ、あ、あ」
速水の構える銃口が、芝村の心臓に照準を合わせた。
「速水。お前はやるべきことが分かっている。救いたいのならば、私を撃つしかないということを。そうだ、それでいい。撃っていいんだ、速水」
「芝村、どうしても、君を撃たなければならないの? そうしないと、僕は誰も救えないの?」
芝村は微笑を浮かべ、静かにうなずいた。
「僕は君を助けたかった。誰も殺したくなかった」
「分かっている。速水」
「僕は、僕は…」
「いいのだ、速水。私を撃った後、お前は真に自由になれるだろう。田代を助けてやってくれ。人々を世界を、助けてやってくれないか。私の望みはそれだけだ」
速水が引き金に触れると、芝村はそっと目を閉じた。
「…ごめん。君を助けられなかった」
芝村はもう何も答えなかった。速水が引き金を引くのを待っているようだった。その顔は、死を目前にしているにもかかわらず、見たこともないほどに穏やかで、さながら女神の彫像を思わせた。覚悟を決めた芝村の顔を見て、速水の目から涙が零れた。もう、闇の竜は語りかけてはこなかった。全ては速水の選択だった。
「僕は、僕は」
また、殺すのか。
この世でたった一人、僕のことを理解してくれる人間を。
気持ちを振り切るように速水は引き金を引いた。引こうとした。しかし、引き金を引くことはできなかった。
「いやだ! いやだ! いやだぁ!!」
心の奥底から溢れでた言葉がそれだった。今までにないほどの強い意志を思わせる速水の言葉で、芝村の閉じられた目が開いた。
「速水…」
「絶対に、いやだ!」
「お前がお前の意志で私を撃たなければ、お前は闇に取り込まれてしまうだろう」
「それでもいい。君を失いたくないんだ。君を失ってまで生きていたくないんだ」
「そうなれば、お前が忌み嫌う過去がこれからも連続するだけだ。それでもいいのか」
「それでもいい。君がいなければ、僕は、もう何もできる気がしない。僕には幼少の思い出とか何もないけれど、君と出会ったとき、無くしていた翼を取り戻したような気がした」
速水は流れる涙をそのままに、じっと芝村の目を見据えた。その目を見ながら芝村は、正真正銘の速水がここにいるのだと気付いた。
「君と一緒だったら、どんな暗闇も乗り越えられる、そんな気がしたんだ」
貴重な宝石を触るように、速水は芝村の指に触れた。
「速水…」
「一緒に行こう。芝村、君が必要だ。君と一緒でなければ駄目なんだ」
「速水。何も手に入らぬかもしれないぞ。世界は闇に包まれるかもしれない。その結果、お前と私以外は誰も救えないかもしれないのだぞ」
「それでいい。闇に囚われても構わない。君が闇に奪われないのであれば、僕は何だってする」
速水の声に充実した生気がみなぎっていた。
「速水、本当にそれでいいのか? 私は、嫌だ。滅び行く世界を、死にゆく人々を放ってはおけぬ」
少し考えてから速水が言った。
「僕と君とで一緒に闇を払えばいい。世界中に散らばっている心を拾い集め、闇を払おう。僕の心だけじゃない、世界の闇を払ってしまおう」
「何を言っているのだ、速水。それは困難な道だ。一生かかっても不可能だ」
「できるさ。必ず、闇を払ってみせる」
「それが異なる世界であってもか?」
「心がそこにあると言うのであれば、異なる世界であれ、全て心を拾い集め、闇を払ってしまおう」
「一人では不可能かもしれないぞ」
「君がいる。さらに必要であれば助けを借りる。きっと僕らだけじゃない。心がそこにある限り味方は必ずいる」
「速水、お前は自分で何を言っているか分かっているのか。どう贔屓目に見てもお前の言っていることは誇大妄想か大言壮語の類なのだぞ」
「分かってる」
速水は、グッと力強く芝村の手を握った。
「夢でも幻でもない。君が僕といっしょにいてくれるならば、全てが現実になる。見ていて欲しい、僕のかたわらで。僕が君のために世界の闇を払うのを」
そう言われて芝村は少し考えた後、握られた手をそのままに、素直にコクリとうなずいた。うなずいた後、顔を赤らめてうつむいてしまい、再び顔を上げることができなくなってしまった。まるで、それは男女の告白のようであり、まさにそのとおりのものであった。
「…舞、急ぐよ。みんなが待ってる」
飛び乗る速水の後をついて、もたもたと、どこまでもぎこちなく、芝村が三号機に搭乗した。
そうして、速水の頭上、空高く、ワールドゲートが遂に開いた。そこを我先にくぐり抜け、目に見えぬ数多くの白い鳥が各世界に羽ばたいた。
──いま、ここに”青の青”が生まれた
彼らはそう告げに行ったのだった。
三号機がいままさに飛び立つとき、芝村に聞こえるように大声で速水は叫んだ。
「舞、君と一緒であれば、僕は空も飛んでみせる。そして、深海しか知らなかった君に白い雲とどこまでも続く青い空を見せるよ」
芝村はひたすら静かにうなずくしか術を知らなかった。
かくして、その日、三号機は単体で六十体近くの幻獣を仕留め、戦史にその名を響かせることとなる。豪華絢爛たる光輝呼ぶ絢爛舞踏の伝説の幕開けであった。
戦闘が終了した後、入院中の滝川の骨折した足を瀬戸口と茜と一緒にいじくり回していた速水は、善行に呼ばれ司令室に向かった。善行からは、どのようにして六十体もの幻獣を屠ったのかやんわりと聴取された。速水は、横流しの弾倉があったことと緊急停止の顛末をのほほんと包み隠さず話した。結果、横流しを行った加藤とそれを運搬した中村、加えて三号機を緊急停止させていた芝村は揃って、みっちり一か月間、熊本市の清掃活動に従事させられることとなった。速水はなぜか戒告のみにとどまった。
それで速水を非難する者が出てこなかったのは、彼が絢爛舞踏であったからではなく、速水もまた熊本市の清掃活動に参加し、誰よりも早く市街に出て、慣れた手つきで三人を良く助けたからである。
とどのつまり、速水とはそういう男であった。