がらかめ劇場 第三幕  (サホ)

「え? 出前ですか…?」
テイクアウトくらいのサービスはしても、それは普段行わないことだった。
聞けば、特別な客だという。それほど場所も遠くないので、速水は気安くその頼みを引き受けた。
高級住宅の立ち並ぶ通りを、地図を片手に速水はきょろきょろ見渡していた。
「えーっと、次の角を右に曲がって……あ、あの突き当りの御宅かな」
“原”と表札は上がっていたが、門前で少年は躊躇してしまった。
「…ここ、だよね? …でも、うちの店の料理を注文するような感じじゃないんだけど…」
確かに「ガラカブ定食」は店一番の高価メニューだったが、この豪邸の住人が、わざわざ「味のれん」のような小さな食堂から出前を取るなど、何だか似つかわしくない気がした。
「…でも、うちの料理は、味は高級料亭にだって負けないしね。…そりゃ、高い食材は使えないけど…」
しかし、注文を受けたことには変わらないのだ。速水は思い切って門を潜った。
「ごめん下さーい。味のれんですけど、ご注文のメニューお届けにあがりました」
「おおっ! 来たな。よし、入ってくれ」
筋骨逞しい若い男が、にこやかに中へ招いた。
邸内は外観以上に豪奢なもので、速水は一歩足を踏み入れただけで圧倒されてしまった。
「え、えーっと、どちらにお運びすれば…」
「俺について来い」
「はい」
どうにも場違いな気がしてならなかったが、しかし、この案内してくれる青年の気取らない態度に、幾分、緊張感も薄まるようだった。

「素子さん、お連れしました」
青年に促され、速水は部屋の中へ入った。
「失礼します。ご注文の――あっ! あなたは…!」
「また会ったわね」
『椿姫』のパンフレットをくれた女性の姿がそこにあった。
「あの時は本当に有難うございました。僕、暇さえあれば、あのパンフレット読んでるんです」
「それは良かったわ。ふふ。…ねぇ、君。この間、お店の近くの公園で一人芝居してたでしょう? 私、味のれんに行く前に見かけたのよ」
「えっ!? そうなんですか。なんか恥ずかしいな」
顔を赤らめる速水に、原は微笑んだ。
「照れることなんかないわ。速水厚志君」
「え? 僕の名前、ご存知なんですか?」
「ふふふ。ね、速水君、君、あの舞台初めて観たって言ってたでしょう? とても、そうとは思えない熱演ぶりだったけど、生憎、あの時は最後まで見ていくことが出来なくて。それでね、私、もう一度、君に同じこと見せてもらいたいなと思って」
「ええっ?」
「君さえ良ければ、今、やってくれないかしら?」
「え、でも、まだバイトが…」
「それなら心配ないわ。味のれんのおじさん、古い知り合いなのよ。だから、私から説明すればお咎めなしのはずよ。ね? おねーさん、森精華のより、君の椿姫が見てみたいのよ」
「そんな…。僕なんて素人ですし」
「あら、そんなこと関係ないわよ。ね、やってくれないかしら?」
こうも熱心に迫られ、ましやてパンフレットを貰ったこともあっては、速水に断る術もなかった。
彼女に押し切られる形で、彼は『椿姫』を演じて見せることにした。

「――あたくし、好意を持った方をからかってしまう癖がありますの…」

少年とは思えぬ艶っぽい表情に、原は血湧き肉躍るのを感じた。
彼女の中にも一抹の不安がなかったといえば嘘になる。
けれども、こうして間近で見て、己の目の確かさに自信を深めた。
「――すみません、素子さん。来客が…」
「見て分かるでしょ? 今、いいところなのよ。誰だか知らないけど、追い返して」
邪魔が入り、原は忌々しげに言い返した。が、既に手遅れだった。
「ようやく見つけたのだ。そう易々と引き下がるような我らではない」
「芝村さん…小野寺先生まで…。勝手に入ってくるなんて、如何にもあなた方らしいわね」
それまで素晴らしい集中力で演じて見せていた速水も、この騒ぎに気付き、中断してしまった。
一体何事かと確かめるように入り口に目を遣り、思わず声を上げた。
「君は――!!」
「むっ…そなた、あの時の…」
ポニーテールの少女も速水の姿に反応した。
「あら、芝村さん。この子をご存知なの?」
「先日『椿姫』の公演で、座席を探していたな」
あの時と何ら変わらない尊大な物腰だったが、この少女を一度見知っていた分、今回はそれほど戸惑いを感じなかった。
「あの時はご親切に席まで誘導して下さって有難うございました」
実際、案内したのはこの少女ではなかったが、速水は丁寧に礼を述べた。
「あなたが、それほど親切だとは思わなかったわ」
「私が冷たいとでも申すのか? フン、私は万人に対して等しく公平に扱っているに過ぎぬ」
「公平、ね…。そうね、そういう言い方もあるかもしれないわね。誰に対しても、情けも持たず冷淡にあしらうんですもの。ほんと、そういうところ、お父様にそっくりね。血は繋がらないのに。…あなたもいつも大変ね。今日もお父様の代理で来たんでしょ?」
「あやつの意思がなくとも、私はやって来たがな」
何やら剣呑な雰囲気に、速水は恐る恐る口を挟んだ。
「…あ、あの、僕、お邪魔みたいなんで、そろそろお暇しますね…」
「いいのよ! 速水君、君はいてちょうだい。今日こそ全部見せてもらいたいのよ」
「で、でも…」
おろおろする速水だったが、舞と呼ばれる少女も彼を引き止めた。
「構わぬ。それが済むまで我らは隣室ででも待たせてもらおう。良いだろう、小野寺?」
「ああ。たまにはそれも良かろう」
「では、隣の部屋を借りるぞ」
有言実行とは、まさにこういうことだろう。言うなり、舞と小野寺は本当に勝手に隣室へ向かってしまった。
呆気に取られる速水だったが、原に続きをせがまれ、さっさと終えてしまった方が、あの少女たちにも申し訳が立つと考え、再び『椿姫』を再現して見せた。

「フン。あれが今度の犠牲者か? しかし、まるでなってないな。いくら可愛らしい見て呉れとはいえ、あれはどう見ても男だ。後継者探しに躍起になっているものと思っていたが、独り身の淋しさでも埋めようというのか」
小野寺はドアの隙間から覗き見て、殊更いやらしく嘲笑った。だが、部屋に飾られていた紺碧天女の全身写真に気付くと、恍惚とした表情を浮かべ、おもむろにそれに見入った。
「しかし、『紺碧天女』――あれを手にするまでは引き下がれんしな……」
熱心に写真を眺める小野寺に、舞は独りごちた。
「――『紺碧天女』に固執するのは、他の思惑もあるからであろう」
「何を言う、舞。あの上演権の入手は我ら芝村の悲願ではないか」
さも心外だといった風を装う小野寺を、舞はすっと目を細め、冷ややかな表情を見せた。
「そうだ。しかし、今、その目に映っているのは、紺碧天女の姿というより、その足元ではないのか? …まぁ好きにするがいい。上演権さえ手にさえすれば、すべて片が付くからな」
舞は隣室へ注意を向けた。
隣から洩れ聞こえるセリフから察するに、少年は先日の『椿姫』をやって見せているようだ。
しかし、なぜ、月影千草ともあろう者が、あのような少年に、このような真似をさせているのだろうか。小野寺の言うような邪推はしなかったが、舞にも些か気にかかった。
(…ふむ。声質は良いようだな。発声も悪くない)
澄んだよく通る声に、舞は耳を傾けた。
(あやつ、稚拙ながらも、よく演じ分けているな…)
間のとり方など技術は足りないが、一応それなりに一人芝居の体を成していた。特に異性を演じるのは気分的にも難しいものがあるが、しかし、彼は照れもなく、女役の時は女になりきったかのようなセリフ回しだった。
(こうして聴いていると本当に女がやってるようだ)
はじめて会った時、確かに、自分よりも可愛らしい顔立ちをした少年だと思わずにはいられなかった。話し振りも柔らかく温厚で、これも自分とはまるで逆だった。
(だからといって特別女っぽいとは思わなかったが――強いて言うなら、そうだ。あれは仔犬だな)
そう思い至って、舞はふっと軽い笑みを零した。我ながら、なかなか的を得ているような気がする。
(決して上手くはないが、だが、あの時とは別人のようだ)
未だに演劇界にその名を轟かせている「月影千草」を目の前にして、たった一人でここまでやってのける根性は大したものだ。畏れるでも、恥ずかしがるでもなく、のびやかに演じている少年に、舞は何やら愉快な心地すらした。

「――有難う、速水君。良かったわよ」
一人芝居が終わり、原は惜しみない拍手を送った。
「ヒロインが特にね。私、本当に感心したわ」
「え? そうですか?」
照れ笑いする速水に原は尋ねた。
「演劇経験はないって言ってたけど、昨日みたいに、よくお友達の前でやって見せてたりするんじゃなくて?」
「あ…ええ、ドラマなんかの物真似程度のことはよくやってますけど」
「道理で自然なはずね…速水君、男の子だからって、女役もヘンに意識しないでやってくれたでしょう? もっと、嫌がるかなと思ってたのよ」
「ああ…えっと、僕、ドラマなんかの物真似やってる間は、何もかも忘れて、自分のことも思い出さなくなるんです。その間だけは、僕なんかじゃなくて、その人物になれるような気がして…。あ、ヒロインになりたいわけじゃないですけど、でもいつか、僕もドラマみたいな人生を送りたいな。…なんて、子供みたいな夢ですけど」
そう言って速水は頬を赤らめた。
「おかしくなんかないわよ。そうね、君みたいな子、演劇に向いてるんじゃないかしら? さっきの速水君、とてもイキイキしてたし」
「そうですか?」
照れる速水に原は蟲惑的な微笑みを浮かべ請け合った。
「ええ。せっかくだし、芝居の勉強でもしてみたらどうかしら? 今からなら、十分間に合うわよ」
「僕がですか? 僕なんか、ただの食堂のバイト店員で――わっ! もうこんな時間!」
すっかり失念していたが、今はまだ勤務中なのだ。時計を見て、速水は慌てふためいた。いくら口添えしてもらえるとしても、いい加減戻らないと店が回らなくなる。
「すみません! 僕、もう帰らないと!」
「そうね。ごめんね、長く引き止めちゃって。これ、今日のお代よ」
「あ、すみません。お釣りの用意が…」
「残りは君へのチップよ。取っておいて」
「え!? そんな、とんでもないです」
速水は遠慮したが、無理矢理ポケットの中に捻じ込まれてしまった。どうにも、この美女には逆らえないものがあった。
「おじさんには私から連絡いれておくから、気を付けて帰るのよ」
「…はい。すみません。ありがとうございました。じゃあ、失礼します!」

走り去る速水の姿を満足げな面持ちで窓から眺める原に、小野寺が毒づいた。
「あの程度の少年の一体何がそれほどまでに気に入ったのかね?」
得意の見下したような笑みを浮かべつつ、彼は続けた。
「可愛い少年を手懐けて、独り身の淋しさを紛らわそうとでも? ああ、それも結構。好きにするがいい。あれと仲良くやっている間、我らが『紺碧天女』の後継者を見つけてやろう。そろそろ上演権を渡してはどうだ」
愚弄した物言いに若宮の方が喰ってかかろうとしたが、原は至って平然としていた。
「ええ、あの少年はご覧の通り素人です。でも、私、気長にあの子を育ててみようと思っているんです。もちろん役者として」
口調こそ落ち着いていたが、引退前とさして変わらぬ美しい顔がいつにも増して不敵に輝いていた。
「気が付いて? 芝村のお二方。あの子は『椿姫』の舞台を、ただ一度観ただけなのよ」
「何?」
予想外の話に舞は片眉を上げた。
原はというと先程までの冷静さもどこへやら、段々興奮が増してきたらしい。目を爛々とさせ、一気に捲くし立てた。
「それなのに、あの長時間の舞台のセリフを一言一句見事に間違えず、キャストの細かな仕草まで丸暗記してしまっているのよ…!」
「――っ!」
それには、さしもの舞も小野寺も息を呑んだ。

(恐ろしい子、速水厚志――!!)
芝村の二人さえ黙らせる隠れた才能の持ち主。
たとえ、その身が少年だろうと、『紺碧天女』を演じるに相応しい千の仮面を持つ子。
やっと見つけた私の宝。どんな手を使ってでも、もう決して逃がしはしないわ――!!

絶句する来客の前で、原の高らかな笑いだけが、いつまでも木霊した。