「芝村さんって、すごい人なんですか? よく一緒にいる小野寺さんって人、有名な演出家ですよね。『椿姫』も小野寺さん演出だったし…」
速水はそのちょっとした疑問を瀬戸口にぶつけてみた。
「まぁな。姫さんは大都芸能の社長令嬢だが、実際、大都を運営しているのは、社長より姫さんのようなもんだしな。小野寺さんはこの劇団5121の理事でもあるが、ウワサじゃ大都芸能を支配下に置く“芝村”の実力者だって話だ」
「“芝村”?」
そういえば、あの少女は『芝村をやっておる』と、風変わりな名乗り方していたことを速水は思い出した。
「芝村って名字じゃなくて、社名か何かなんですか? 芝村をやってるって、何か商売のことみたいですよね」
「商売ねぇ――ま、近いかもしれないな。俺もよく知らんが、芝村はこの国を裏で牛耳ってると言われるほど力のある一族だ。一族といっても、実際、血縁関係はなく、その権力を維持するために、優秀なヤツを次から次へと養子にしてるらしいけどな」
「そうなんですか…僕、施設育ちで、ロクに学校へも行ってないから、ちょっと世間のことに疎くて」
「芝村の実態なんて普通は知らないさ。ま、そんなことより、せっかく見学するんだ。俺の美少年な姿でもじっくり眺めてくれ」
「もう、からかわないで下さいよ」
軽く片目を瞑ってみせる瀬戸口に速水は半ば呆れたように言ったが、傍から見れば、やけに親密な仲のように映った。
「……ちょっと、何あれ? 末姫とも知り合いで、あの小野寺先生まであの子のこと口にしてたし。おまけになんであんなにぐっちーと親しげなわけ?」
「ねー! そりゃ、顔はちょっと可愛いけど、あの程度じゃ大したことないじゃない。気弱そうだもん」
研究生たちはひそひそと速水を評した。
そんなところへピンクのスーツ姿の女性が現れ、彼に声をかけた。
「あら、君、さっき入団申込書忘れていったでしょう?」
「ええっ!? あの子、ここに入る気なのぉ?」
研究生たちは興味本位で耳をそばだてた。
「あ、いえ、その、僕、お金がなくて…」
「まぁ、そう…それは残念ね。今までどこかの劇団に入ってたのかしら?」
「いえ。…お芝居は好きですけど、お遊戯会とかごっこ遊びくらいしか…」
恥ずかしそうに答える少年を、研究生たちは嘲笑った。
「今の聞いた? 呆れるよね。ここは才能ある選ばれた者じゃなきゃ入れないのに」
「俺たち研究生ですら、この業界で結構活躍してるっていうのにな」
「――テメーら! いい加減にその口を閉じやがれ! 稽古だ稽古! 今からパントマイムをやるぞ。一番は…新井木! 題は『逃げた小鳥』だ」
「先生! 僕よりあの子にやらせてあげて下さい! ここに入団希望するくらい芝居好きみたいだし」
「ええっ?!」
急に名指しされ、速水は狼狽した。
「見学だけじゃつまらないでしょ?」
「面白そうだな。よし、そこのおまえ、やってみろ!」
「そんな…あ、あの、僕、パントマイムが何かも分からないんですけど…」
「簡単なことだ。セリフを使わず、身体の動作だけでその事柄を表現する。悩むことはない、芝居の原点だ。餌をやろうと鳥かごの戸を開けた途端、部屋の中を逃げた小鳥を捕まえる。おまえはその動作をしてみせりゃいいんだ」
教官まですっかり乗り気で、どうにも逃げられそうな雰囲気ではなかった。
(セリフを使わず、身体の動作だけで表現する…それがパントマイム――)
逃げた小鳥をかごに入れる…
身体の動作だけで、それを表現する……
速水は一呼吸おくと、意を決したように前へ進み出た。
目を閉じ、彼はより色濃くその情景を脳裏に思い描いた。
――ここは僕の部屋。
タンスがあって、ちゃぶ台があって。
こっちには机代わりのみかんの段ボール箱……
そこに鳥かごがあるんだ。
そう、きっと田辺さん家でまたぼや騒ぎがあって、それで預かることになって…
餌をやろうと鳥かごの戸を開けたら、小鳥が部屋の中へ逃げ出して――…
「バカみたい。おろおろ突っ立っちゃって! 怖気づいて、頭の中は真っ白、足も竦んでるんじゃないの?」
速水の情けない姿に研究生たちの間から蔑むような笑いが起こった。
「――あの方にはわたくしたちのことなど、まるで目に入ってませんよ」
誰に言うでもない壬生屋の呟きに瀬戸口が振り返った。
仕事で遅れた壬生屋は別室で基礎練習を終え、ちょうど今こちらにやって来たのだった。
「あの方の目の動きを見れば、それは明らか。緊張などではありません。逃げた小鳥がその目に映っているからこそ困っているのでしょう」
彼女だけが真剣に速水を見ていた。速水の目の表情で、小鳥の動きが分かった。
「お嬢さんの言うとおり、部屋の中に飛び回る小鳥をどう捕らえようか悩んでるみたいだな」
「ええ…」
瀬戸口の言葉に壬生屋は、内心、意外に思った。誰よりも不真面目で軽薄だと思っていた彼に、それが見えるとは思いもしなかったのだ。
「おっ。今、高いところにとまったな。さて、ここからどうするかな」
軽い口調だったが、間違いなく、瀬戸口の目には自分と同じものが見えている。
日頃、彼の軽はずみな行動に不快感を抱いていたはずなのに、今、彼と同じ映像を共有していることに壬生屋は不思議な心地の良さのようなものを感じていた。
最初はアイドルとしてスカウトされてデビューした彼だったが、人目を引く派手な外見も手伝って、壬生屋にはどうしても浮ついた人物に思えてならなかった。
「桜小路優」は優男の“優”のようだから、その名は返上して、これからは本名でこの世界で勝負したいと「瀬戸口隆之」に改名した時も、ただの気まぐれに違いないと思っていた。
しかし、存外彼の決意は本物だったのかもしれない。それは同じ演劇を志す者としても好ましいものだった。
「――突っ立てるだけじゃ捕まえられねーぞ。早く小鳥を追えよ」
野次に速水は我に返り、困惑の色を滲ませた。
「でも、上の方にとまった小鳥をどう捕まえたらいいのか分からなくて…。こんな時は大抵、呼べば僕の言葉に応えてくれるけど、今はセリフも使えないし……」
至極真面目に答えた速水をギャラリーはこれでもかというほど嘲笑った。
「――っ!!」
しかし、壬生屋だけは瞠目して少年を見た。
(呼べば小鳥が応えるですって…?)
傍目にも分かるほど、壬生屋は血相を変えていた。
(もしや、この少年、万物の精霊の使い手――!?)
「おいおい、止せよ、おまえら。はじめてにしちゃ上出来だろ」
肩を軽く竦め、瀬戸口が飄々とした口調で間に入った。
「なかなか上手かったよ、バンビちゃん」
言いながら速水を抱きしめる瀬戸口に、壬生屋は髪を膨らませんばかりに憤然となった。
「不潔です! 離れなさい!」
「うわっ、何も木刀振りかざさなくてもいいだろ?」
「問答無用! 神聖なる稽古場で破廉恥な行動は許しません!」
先程、瀬戸口のことを見直していただけに、すっかり裏切られたような気分だった。
猛然と彼を追い、きっちりお灸を据えると、壬生屋は気を取り直すように言った。
「――本田先生。 この続きをわたくしにやらせて下さい」
「壬生屋、おまえには初歩すぎるだろう?」
「いえ、是非やらせて下さい。この方は小鳥を捕まえられないようですから」
意味ありげな目で速水を一瞥して、壬生屋は前へ出た。
壬生屋の持つ凛とした雰囲気が、ざわついていた観衆の口をぴたりと噤ませた。
ひとりだけ赤い袴姿の彼女が更に際立った。それは服装の違いなどのせいなどではない。惹きつけられずにはいられない圧倒的な存在感が彼女にはあった。
衆目を集めていたが、しかし、壬生屋の周りを取り囲む空気はこちら側の世界を遮断していた。彼女は一瞬にして速水が創り出した別の空間の中に身を置いていたのだ。
顎を軽く反らせ、壬生屋はすっと手を宙に差し出した。
(何をするんだろう…?)
固唾を呑んで速水は彼女の次の所作を見守った。
(――あっ! 口笛で呼び寄せようとしてるんだ…)
速水にははっきりとそれが見えた。
壬生屋のその口笛の音に誘われ、舞い降りる小鳥の姿が。
(今、とまった! 分かる、今、小鳥が壬生屋さんの指先にとまってるのが…!)
小鳥の気が変わらないように口笛の調べを絶やさず、そっと鳥かごの中へと戻してやる情景が、速水だけではなく、誰の目にも鮮明に浮かんだ。
「さすがだぜ! こんなヤツとは比較にもならないよな」
喝采を浴びる壬生屋に、速水は震えを感じた。
(すごい…これが演技というものなんだ…。ほんとに天才なんだ、この人は…!)
彼の耳には自分を嘲る声は何ひとつ入らなかった。ただただ、壬生屋未央の演技の素晴らしさに心を奪われていた。
彼女のパントマイム姿は、彼の胸の中でそれは強烈な印象を植え付けたのだった。
そして、それは彼だけではなかった。
「呼ばずに捕まえる方法が分からないだなんて、おかしな子よねー。言い訳するなら、もっとマシなこと言えばいいのに」
「でも、あの番犬もすぐに手懐けてたし、案外ほんとだったりして」
「まさか。演技が出来なくて、おろおろしてただけに決まってるよ。よくもまぁ、図々しくもうちに入団したいなんて言えたもんだ」
「――いいえ。本気で困っていたということは、演技を通り越していたということ。あの方の目の表情だけで、わたくしの目にも高いところにとまった小鳥がちゃんと見えましたよ。皆さんはお気付きにならなかったようですけれど」
壬生屋はきっぱりとした口調で言った。
「確かに演技としては稚拙でした。けれども、劇団員にずらりと取り囲まれた中で、生まれてはじめて、突然マイムをしろなどと命じられたのですよ? それでいて架空の小鳥を捕まえられないと本気で困ることなど、並の度量ではないでしょう。もしも、あの方がここに入団なさっていたら、あなた方はあの方の脇役に回されていたかもしれませんよ」
「そんなバカな…」
彼女の言葉に一同、半信半疑だったが、壬生屋は確信に満ちた表情だった。
「他人の陰口に時間を費やすよりも、練習に励むことですね」
(――あの少年、確かに小鳥を呼ぶことが出来ると言っていた…)
劇団の優秀な番犬をいとも容易く懐かせたという。
壬生の家に伝わる秘儀、<万物の精霊>の使役――
(あれはただの言い回しではないのかしら…?)
今までは、森羅万象を感じ、それに呼吸を合わせる。戦い前の昂りを沈め精神統一するため、先人がそのように喩えたものだろうと思っていた。
ど素人といっても差し支えない演劇初心者だったが、あの少年には何かしら惹きつけるものがあった。確かに彼の中に秘められた何かを感じた。しかし、だからかといって、まさか、あの少年が壬生の秘儀を知るはずなどない。
大体、動物を懐かせるのが上手いというだけで、<万物の精霊>を使えるということを意味するなど、我ながら荒唐無稽な話だと思う。
けれども、彼のあの言葉を聞くまで<万物の精霊>が存在するものとは露ほどにも考えなかった。秘儀であるにも関わらず、今までその正体が何か、見極めようともしなかったのだ。
(わたくしも他人のことは言えませんね。もっと鍛錬せねば――)
あの少年のお陰で目が覚めたような気がした。
演劇を捨てるつもりも、壬生屋家に代々継承される古武道を捨てるつもりもない。どちらも両立出来てはじめて「壬生屋未央」という自分が確立されるものだと、彼女は固く信じていた。
あの少年に、何か古い宿命のようなものを感じるのも事実だったが、しかし、今やるべきことはその探究ではない。まずは己を鍛えることだ。
壬生屋は雑念を振り払うと、居合いに励んだ。
「――ふむ、以前より太刀筋が鋭くなったか」
壬生屋が刀を鞘に収めたのを見計らったように戸口から声がした。
「まぁ、舞さん! 小野寺先生も…。道場ではなんですから、どうぞ母屋へいらして下さいまし。この時間でしたら母も戻っている頃でしょう」
壬生屋はいそいそと二人を案内した。
「そったらことを!?」
小野寺の話に森は顔色を変えた。
「原先輩が天女後継者育成のために自分で劇団を作るだなんて…。演劇界幻の名作『紺碧天女』を演ることは私の夢なんです! 原さん、いえ月影千草の復帰がないのなら、私が天女を演じてもいいでしょう? なぜ私ではダメなんですか?」
「原が言うには天女を演るには完璧な玉肌が必要なのだそうだ。自分でも無理なのに、子持ちのそなたには務まるはずがない、とな」
舞の言葉に森はわなないた。
「そ、そんな…っ! 原さんの完璧主義は誰よりも知ってます! 新人の頃、原さんにスキンケアがなってないって注意されてから、ちゃんと気をつけてました! 母となった今はあの頃以上に手をかけてるんですよ!? ずっとあの頃の状態を維持してるのに――!!」
「取り乱すな。それが大都の看板女優たる態度か」
厳しい声で小野寺が言った。
「黒夫人の劇団など、どうにでもなる。上演権を入手し、必ず我らで公演してみせよう。大都の成功が芝村の基盤も万全のものとする。そうだな、舞?」
「ああ。『紺碧天女』は必ず私が手に入れる!」
力強く頷く舞だったが、問題は上演権獲得よりも誰を紺碧天女役に据えるかだった。
小野寺も芝村的思考で同じことを考えていた。そして、黙ってそこに控えていた壬生屋にふと目を止めた。
「5121は大都芸能直営――我らには期待のエースがいたな」
舞も彼の意図に気付き壬生屋を見た。
小野寺は薄ら笑いを浮かべつつ言った。
「黒夫人も後継者が育つまでは意地でも上演権を手放したくないはずだ。それがあと何年先になるか分からんが、その時、森には無理だろうと、壬生屋ならギリギリ若さで押し切ることが出来るかもしれん」
「わたくしが?」
「まだあなたには早いわ」
森の反論にも耳を貸さず小野寺は壬生屋を注視した。
「その肌の張りなら原も文句は言えぬだろう。何より森より壬生屋の方が舞台栄えする。壬生屋は主役を演るための素質を生まれながらに持っているからな」
気まずい雰囲気が森の周りに重く立ち込めていたが、一向に構うことなく小野寺は続けた。
「文武両道に秀でているが、纏う雰囲気は今時の小娘には見られぬ上品な華がある。まさに正統派女優に相応しい。がはははは、これだけ人を誉めるのは久しぶりだ」
小野寺が破顔するのを、森はひどく複雑な目で見つめた。
娘を誉められ嬉しいが、女としての自分は母というだけで貶められ、女優としての誇りも滅多切りにされた気がした。
「女優」としての華に欠ける――それは月影千草の妹分としてデビューした時から指摘され続けてきたことだった。その評価を覆そうと、地道に努力を重ねて「大女優」と呼ばれるまでの地位へ登りつめたが、未だにその壁が自分の目の前に立ち塞がろうとは……。
(――でも、本当に肌状態が問題なのかしら? 原さんなら、あの頃の状態を維持するだけなんてレベルで甘んじたりはしないと思うけど…)
月影千草の引退理由には誰もが首を傾げたものだった。彼女の完璧主義を熟知している森にとっても不可解さの残るものだった。誰の目にも月影千草の肌の衰えなど、微塵も見付けられなかったのだから。
月影千草にとって『紺碧天女』は命よりも大事な芝居。天女は月影千草の魂そのもの。それを守るためなら、どんなことでもするはず。それが森の知る原素子という女性だった。
(わざわざ後継者育成だなんてことしなくても、自分で復帰した方が早いはずじゃ…)
引退せざるを得ない理由が他にあるのではないだろうか。久しく忘れていたその疑問が、また森の中で燻りはじめるのだった。
一方、珍しい小野寺の他人への賛辞を聞きながら、舞は不意に思った。
(あの少年も演劇を愛して止まないようだが、壬生屋とは何とも対照的だな…)
壬生屋は既に女優としてのその才能を世間に知らしめつつある。
原も、あの速水という少年を育ててみようと思うと言ってはいたが、今は稽古風景を見ただけで興奮しているようなレベルだ。
(しかし、原があれほど誰かに目をかけるのも珍しいな。まさか――…)
舞は自分の考えを打ち消すように軽く首を振った。
(いくら可愛らしい顔立ちでも、あれは少年ではないか)
森には無理だとしても、壬生屋のような者こそ天女役に相応しいはずだ。この従兄殿が珍しく惜しみない誉め言葉をかけてやるほどなのだから。
我ながらどうかしている。しかし、なぜ、こんなにもあの少年のことが引っかかるのか舞には不思議でならなかった。
その頃、とぼとぼとした足取りで帰途に着いた速水を、黒塗りの車が待ち構えていた。
「劇団5121に行ってたんですってね」
「原さん…。…どうしてそれを?」
「舞さんから聞いたのよ。そんなことより、何しに行ってたのかしら?」
口調は穏やかだったが、原の目にはいつになく鋭い光が宿っていた。
「バイトもクビになって、今の僕にあるのは演劇をやりたいって気持ちだけ…。実際に演劇学校を見てみて、今まで以上に芝居をやりたくなったけど、でも通うお金もないし…」
弱々しく速水は吐露した。
「また仕事を見つけて、お金を貯めたら、そうしたらきっと…」
「――早く忘れることね」
「そんな!」
速水は悲痛な面持ちで原を見た。
「どうしてですか? あなたなら僕の気持ちを分かってくれるかと…」
「でも、中途半端な情熱ならやめた方がいいから」
「僕は本気です!」
「その言葉に偽りはないのね?」
念押しするようにそう訊いてくる原に、速水は固い表情でしっかりと頷いた。
「――今度、私の演劇研究所を開くことになったの」
そう最後まで言い終えもしないうちに、速水は取り縋るように懇願した。
「なら僕を入れて下さい! お金はきっと後で働いて返します!」
「……ねぇ、速水君。入学金が貯まるまでとか、後で働いてお金を返すとか言うけど、君は一体何をするつもり?」
「え? それは…でも必ず新しいバイトは見つけます、だから…」
「演劇の世界ってそんなに甘いものかしらね?」
射抜くような目で原は速水の言葉を遮った。
「君が芝居をやりたいというのは趣味? 楽しいからやりたいだけ? 厭きたら芝居を捨てて、きっと仕事に逃げるのね。それじゃただの遊びね。そんな軽い気持ちなんだ」
「違います! 僕は役者に――プロの役者になります!!」
(――!)
速水は口を衝いて出たその言葉に慄然とした。
「――その一言が聞きたかったのよ、速水君。ええ、君のことは私が責任を持って引き受けるわ」
原は、速水がこれまで見た中で最も凄艶な表情を見せた。
「――原さん、あなたは一体…?」
「私? 私は原素子――以前は“月影千草”という名で舞台に立っていた…ただそれだけよ。ふふっ、そんな昔話はもう止めて、早速だけど行きましょうか。荷物はこちらで纏めさせてもらいました。演劇の世界で生きると決めた以上、余計なものは捨ててもらいます。いいわね?」
原の迅速な行動に驚きつつも、しかし、速水ももう後には引き返せないことに気付いていた。
自分でも大それたことをしているとは思ったが、役者になりたいという思いは、瞬く間に胸の中で激しく燃え盛ってしまった。この情熱を消すことなど、もはや誰にも不可能だった。
こうして、速水は原に導かれ、演劇の世界へと突き進む道を選んだ。
少年の中のその情熱の炎はやがて激しく燃え盛り、絢爛たる強い輝きをもって、世間を震撼させることとなる。
――それが世界の選択なのであった。